名古屋大学 大学院多元数理科学研究科・理学部数理学科
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ファイル更新日:2005年07月05日

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森川壽先生を偲んで

2005年7月4日
梅村 浩(多元数理科学研究科教授)

森川壽先生が2005年5月29日に亡くなられた. ここ何年か闘病生活を送ってこられた先生であったが, 発表予定の論文の校正をされるなど, 元気なご様子に安心していた折りの突然の訃報であった.

森川先生は1928年名古屋にお生まれになり, 1948年創設間もない名古屋大学理学部数学科に入学された. 当時その魅力から優秀な若者が集った中山正先生に師事された. 森川先生の仕事は初期のAbel多様体論から始まり, 1変数代数関数体の類体論と一般Jacobi多様体の理論, 3次テータ関数論, 不変式論に到るまで, その独創性により高い評価を得ている. また名古屋大学理学部数学科の黄金時代の一翼を担われた. 直感によって本質に迫る方法は他の人にはまねのできないものであった. 先生の研究の核になっていたのは群と不変式であったと思われる.

先生はセミナー, 談話室で談笑されるのを楽しんでおられた. そこでは数学的なありとあらゆる対象が笑顔とともに罵倒されていた. 今から思えば罵倒することによって, 逆に称賛していたのではないかという気がする. 厳しい数学の評価にもかかわらず, 近づきがたい先生であるという感じはしなかった. むしろユーモラスで親しみ易い印象を与えたのは, 先生の人間性によるのであろう. 先生のご冥福をお祈りする.

エピソード1 代数幾何学原論EGA

先生は1963/64年にイタリアのピサに滞在され, フランスを経由して帰国された. パリではGrothendieckのセミナーSGAを訪問されたという. 先生の帰国は青い表紙もまばゆい代数幾何学原論の日本上陸であったと聞く. 先生が1年間スキーム理論について講義されたこともあった. 晩年の研究のスタイルからは想像しにくいかと思うがこれも先生の一面である.

エピソード2 D. Mumford

1977年D. Mumfordが2度目の来日をした. Mumfordは京都の代数幾何学の国際シンポジュームでソリトン理論について素晴らしい講演をし, 深い感銘を与えた. 当時日本の代数幾何学者でソリトン理論に興味を持っていた人は皆無であった. その後名古屋に立ち寄った. 名古屋でMumfordをつかまえての森川先生の話はとどまるところを知らず延々と続いた. Mumfordは時々首をかしげ「I don't quite understand.」とかつぶやいていた. その夜Mumfordは発熱した. 旅の疲れから流感にかかったのである. 東京での予定をキャンセルしてHarvardにまっしぐらに帰ってしまった. 確かに森川先生の話はわかりにくかった. しかし, わかる人にはわかる面もあった. そういう意味で聴手は数学的なセンスをテストされているようでもあった.

エピソード3 手品師のシルクハット

先生は講義のためにノートを用意されるということはなかった. 講義室へは文字通り手ぶらでお見えになった. どのような複雑な証明であろうと, テータ関数の長い等式であろうと, 次から次へと頭のなかから出てくるのであった. それはさながら手品師のシルクハットからハンケチ, 万国旗, 鳩が出てくるようであった. 次に何が出てくるかもよくわからなかったと言ったら言い過ぎかもしれないが. 講義のとき12時になるとチョークを持つ先生の手がはたと止り,「あっ, 今日やったところ全部間違っていました. 来週やり直します.」と言って, あっけにとられている学生をあとに, 研究室に帰って行くというようなことが, ままあった. 非常にユニークな講義であった.