「お笑い」日記(その2)

最終修正日 2003年10月4日

芸人さんの敬称略

2002/7/28 日曜日

音楽漫才の第一人者はなんといっても「横山ホットブラザーズ」である。今や横山ホットブラザーズといえば「おまえはアホか」のノコギリ芸、という認知のされかたで非常に残念である。他にもいろんな趣向を凝らしたネタがあって台所用品などの日用品で作った楽器の演奏や、昔は吉永小百合の顔写真を貼った人形とタンゴを踊りながら、下着を脱がしていくというのもあった。

音楽漫才、音曲漫才、歌謡漫才がだんだん少なくなるのは淋しい。70年代初めの角座、「かしまし娘」が舞台に登場して最初のフレーズを奏でただけパッと華やいだ空気になった。楽器を用いた漫才といえば他にも「宮川左近ショー」、「暁伸・ミスハワイ」、「タイヘイトリオ」、「フラワーショー」、「三人奴」、「東洋朝日丸・日出丸」、「あひる艦隊」、もっと新しいところでは「ジョウサンズ」、「ちゃっきり娘」、Mr. オクレがいた「ザ・パンチャーズ」などなど。音楽漫才というのではないが、「三遊亭小円・木村栄子」の漫才も小円が三味線を抱えることがあったし、ぼやき漫才の「人生幸朗・生恵幸子」も途中で生恵幸子の歌があってから歌謡曲のぼやきに移っていた。音楽漫才の多くにはテーマ曲がつきもので、今ではとても懐かしい。私自身、ルーチンな計算をしているときなどに「なにがぁーなぁーんでもーこのコンビぃー」とか「夢路さん、ハイよー」と口ずさんでいるときがある。それらを集めたCDが発売されることを切に願う。もちろん横山ホットブラザーズのは新旧両バージョンとも収録してほしい。

最後に懐かしいTVコマーシャルを一つ。「あんたほんとにウィッグやね」、「なんでウィッグやねん」、「ムシの好かん人」、「衣類の虫よけにウィッグ、ウィッグ防虫錠」


2003/3/26 水曜日

今年度の春の学会は東京で開催されたので、「お笑い分科会」の数学者仲間(全員関西出身)と新宿駅南口のルミネtheよしもとの7じ-9じの公演を見にいく。劇場は450席あるが、横に細長くて前列の脇からは演者は見づらい。若い女性が多かったが、中年男性もちらほらいたのでとりあえずホッとした。出演者は登場順に COWCOW、じゃぴょん、陣内智則、ニブンノゴ、水玉れっぷう隊、千原兄弟、それとよしもと新喜劇(板野創路、ホンコン(蔵野孝洋)、島田珠代、2丁拳銃ほか)であった。

前半では陣内智則と千原兄弟が秀逸であった。卒業式間近に転校してきてすぐに卒業式に臨む中学生を演じた陣内智則はピンでやっているが、MD との掛け合いで進むあれは絶対に漫才だ。千原兄弟は、いじめられっ子を息子に持つ母親の記者会見というコント。シュール系である。「ゼリーをとおして見える息子の悲しげな顔」なんていう発想はどこから生まれるのだろう。じゃぴょん(旧ウルグアイパラグアイ)はタレント養成学校のオーディションを受けにきた女性を演じた人(桑折)のレオタード姿での登場でインパクトを与えるつもりだったのだろうが、カツラが落として観客の集中を頓挫させたのが失敗だったと思う。水玉れっぷう隊は東京では「あいつら誰?」という感じ。まだまだ精進せなあかんね。

よしもと新喜劇はホンコンがいい味を出していたが、辻本茂雄や内場勝則、烏川耕一、安尾信之助らがマルチで息もつがせず畳みかけるようにつっこみぼけたおす吉本新喜劇を知っているだけにすごく物足りなかった。それに間延びしてだらだらしていた。甘栗や蓄膿ネタであんなにひっぱる必要があるのか。45分ぐらいで十分だと思った。


2003/10/4 土曜日

世の中には、この人にはいつまでも生きていてほしいと願う、いやいつまでも生きているのだと自分勝手に信じている人たちがいる。私にとっては夢路いとし・喜味こいしと桂米朝がそうであった。(この日記では敬称を略しているが、私には「いと・こい」師であり、桂米朝師である。)そうであったと記すのは辛いことである。9月25日(木)夢路いとし死去。

いつまでも生きていてほしい、というのは近親など親しい人に対して抱く感情である。それほど、いとし・こいしの存在は身近かであった。関西の人なら、人生のどの段階を輪切りにしても、遠景にせよ近景にせよそこにいとし・こいしが見つかるに違いない。

いとし・こいしの漫才は日常の情景を戯画化したものが多い。たとえば、いとしの家では妻のかけ声で食事の内容が分かるという話。「あなた、めし〜」では、ご飯とみそ汁に香のものだけ。それにおかずが一品つくと「あなたごはんよ〜」になる。すき焼きをやろうものなら「あなた、晩餐会よ〜」(そんなおおげさな。)その翌朝は「あなた、フルコースよ〜」と。「朝から洋食食べんのか?」、「いや、昨日のおかずの残りもんやから、古コース」。
--いとしの家で家族旅行の計画を相談した。妻はアメリカに、娘はリオ・デ・ジャネイロに、息子はマカオに行きたいといって、意見がまとまらない。結局アメリカのアと、リオのリとマカオのマをとって有馬温泉にでかけることにした。

演目として生き残っていく落語のネタとちがって一過性のものが多い漫才のネタのなかにも、繰り返しの傾聴に耐えうる名作がある。いと・こいの漫才に名作は多いが、やはり落語と違って彼らがが演じないとそれらが活きないだろうことが残念である。それでも巡査が不審者に職務質問をする「交通巡査」--「名前は?」、「いま、ゆうぞ」、「早いこと言わんか」、「いま、ゆうぞー」、(いらいらして)「すっと名前を言えんか」、「そやから、さっきから今井勇三というてます」(「今井勇三」はワープロが変換した最初の候補で、本当のことは知らない)--は落語の「寿限無」や「東の旅」のように、漫才入門のお手本となるだろう。(国語の教科書に採用してくれないかな。)

2年前、浪花座のお盆興行でいとし・こいしの漫才を聴いた。舞台の袖に姿を現してからセンターマイクに進むまでかなりの時間を要したが、その間、観客は他の演者のときとは明かに質が違う暖かい拍手を送っていた。漫才に入ると声量も大きく言葉もハッキリしていて、「漫才の基本」はこうあるべきというのを見せられたような気がした。それだけではなく掛け値なしにその日の演目の中で一番面白かった。


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