第5日目:10月15日(日曜日)

【アパートにて・・】

目覚めは11時。疲れが抜けないのか、時差ボケか。まあいい。今日は日曜日だし、

ここ4日はちょっとばたばたしたので、ゆっくりして新しいアパートのDamage

Reportでも書いて、laundry で洗濯でもしようかと思い、車でアパートへ向かう。

車の入り口はゲートがついていて、鍵を持っていないと中へは入れない仕組みに

なっている。鍵を差し込みひねると、ウィーンとおおきな鉄格子が空き車が入る

ことが出来る。中にはいると自動的にゲートは閉まってしまう。駐車場は3階にある。

そこから直接部屋の入っている階までエレベータであがることができる。

さて、部屋を空けようと鍵を差し込む…..。うん?空かんぞ?何度か差し込む。

回してみる。空かない。はぁ?どーゆうこっちゃ?鍵が違うんかい?

スペアも差し込んでみる。今度は鍵が回転すらしない。おいおい。こりゃ文句を

言いにいかなあかん。ということで一階に住むという管理人(Apartment Coordinator)

の所へ「挨拶」ということで、さりげなくクレームをつけることにした。部屋は104号。

ベルを鳴らすとアジア系のおにいちゃんが出てきた。事情をはなすと、管理人は

今いないという、鍵についてはオフィスへ行けという。彼自身は管理人の友達で

彼の留守を預かっているという。ロスでは部屋を留守にするのは空き巣などに

ねらわれるおそれがあるので、長時間外出するときは友達などに部屋の留守を

頼むことがあると聞いているので、それもありうると思い。

クレームを諦めて、明日にオフィスへ行くことにした。

結果、今日の予定はこれで完全に狂ってしまったわけだが、もう一つの目的で

あるところのアパート内にあるlaundry roomへ行くことにした。それは2階にあった。

洗濯機が5,6台、乾燥機が5,6台が運転している。洗濯は1回一ドル。

乾燥は1回50セント。しかし、受け付けるコインはすべて25セント硬貨であるため、

洗濯はできないことが判明。近くに両替機のような気の利いたものが期待できる

はずもなく、明日銀行が空いたら10ドルぐらいを25セントに買えておこうと思った。

これでもう一つの目的である洗濯も出来ずじまいであった。

今日は何もせずにぷらぷらしておれという神様のお告げだと思い、二人は昼御飯を食べに街に出た。

 

【食いしん坊万歳!−California Pizza Kitchen

日曜日のWestwoodは平日とは違って、たいへんのんびりムードである。

飲食店はどこもいっぱいだし、映画館などもたくさんの人でごった返している。

Westwoodはこの狭い地域に3件もある。さすがに学生街である。

我々はCalifornia Pizza Kitchenに行った。妻はフォッカチャ、私はチキンサラダ

を食べた。ソフトドリンクは飲み放題。相変わらずの量の多さ。

しかし、アメリカンピザはアメリカで生まれて発展させられた経緯もあって、

その洗練され具合は他の料理、たとえば中華とか和食などにくらべれば、

「そういうもの」として食べられるので安心だ。

 

Bristol Farm

朝から挫かれた気合いもここで復活して、腹ごなしに昨日チェックしておいた

スーパーまで歩いていこうということで話が決まった。日常生活を営む上で

スーパーが近くにあるかどうかということは、別にアメリカでなくても重要なことである。

しかし、スケールのでかいアメリカのこと、歩いていける距離にスーパーが

あるなどと言うことはほとんど期待できない。そういう意味で車は必須アイテム

なのだが、車を乗らない妻にとってはそれは出来ない相談である。

だから、昨日発見した品揃え豊富なスーパーがどれくらいの距離であるのか、

またバスなどで移動できるかを知っておくのはたいへん重要なことである。

で歩くこと30分。距離にして2キロぐらいで我々はBristol Farmというスーパー

にたどり着くことが出来た。これは一昨日にチェックしておいたお店である。

アメリカ基準ではたいへん近いと言うことになる。スーパーの真ん前にはSanta

MonicaCity Busのバス停があり、UCLAまで走っていることもわかり、

これなら普段でもバスで移動できると二人で安心した。店の周りの付近は明るい

感じで、Kinkos があったりBorders(本屋)があったりセブンイレブンがあったり、

昼間なら全く問題なく歩けるのも嬉しい。

 

スーパーの中に入ると、肉・魚・野菜・酒・パン、デリカテッセンスタイルの

惣菜屋などもあって、非常によい。小瓶ながらしょうゆやみりんまでおいてある。

ここにさえ行ければ、暮らしに必要なものはだいたい揃いそうである。

もう少し車がなければ不便な生活を強いられるのではないかと不安であったが、

Westwood地域は結構暮らしていけるたいへん便利な街であることがわかり、

これまた一安心。車を買おうかどうか迷っていたが、普段は大学で研究だし、

週末だけの利用を考えるなら、新車や中古車を買っていつ起こるか分からない

盗難や故障に怯えながら高い保険料と車のお金を払い続けるのよりは、

フルカバーの保険に入っても一日5000円くらいのレンタカー(もちろん会社は

Avisなどの大手である。そうでないと、どんなレンタカーをあてがわれるか

わかったものではないが。)を借りる方が帰って安く上がって安心ではないか

と思うようになっている。

 

スーパーから帰る途中でBorders によって、ペットショップを覗いて、帰る。

 

【LA日本メディア事情】

疲れが溜まっているし、今日はおとなしくホテルに帰った。私は寝ることにした。

妻はその間、地球の暮らし方などを読んで生活のことを研究していたようである。

起きるとテレビではフジテレビ系列の「ものまね大賞」をやっていた。

私はその番組をみたことがあったので、数週間遅れでのオンエアされたものの

放送ということになるのだろう。ここでロスにおける日本のメディアについて、

いままで分かったことを書いておく。日本人が多く住むロスにあっては、

日本語放送は比較的容易に視聴できる。テレビではCH18(国際放送チャンネル)がある。

これは各国の番組を時間帯を決めて放送している。一日中かけていると韓国語の

ドラマありヒンズーの音楽番組ありとたいへんバラエティーに富んだコンテンツである。

もちろん日本語の放送がある。これはFCIというフジテレビ系列のケーブルテレビ会社が

配信されている。平日は朝のニュースを30分。そして夜の23時30分からプロ野球ニュース。

祝日は18時ごろから00時ごろまでNHKの番組(日本人の質問)や

毎日系列の番組(報道特集)なども放映されている。

今日はスペシャル枠でものまね大賞が放送されていた。来週は日本シリーズ

第一戦を生放送するそうである。週末は日本語放送で楽しく暮らすことができる。

毎日日本語放送を見たいと言う人にはNHKの衛星放送がある。

チューナーとパラボラアンテナをつけて月々30ドル。こちらはリアルタイムで

日本のニュースなどが見られる。

(アメリカで日本のニュースが生で見られると言うことに、日本情報に疎くなら

なくなる以外にどのようなメリットがあるかは疑問だが。)

また、ラジオもあって、ロスエリアをカバーする形でラジオ日本という放送がある。

これは専用ラジオを購入して聴取する。このラジオが83ドルあまりで、やや高めである。

我々がどのような日本語放送を選ぶかはまだ未定であるが、

これは私よりも妻の方に選択の比重が大きくなるだろう。

 

【食いしん坊万歳!−Jelly's Famous Deli

テレビを20時まで楽しんだ後、二人で夕食に出かける。もう、量が多い、

わかりやすい味のアメリカン料理にもいやけがさしてきている二人は、

夕食を取るかどうかということで相談しなくてはならなくなった。

何を食べるというより、今日もあれだけの量の食事をとるのかということに関心

が移っているのである。しかし、食べないと夜おなかがすくはずなので、

やっぱり食べに行こうということになる。量の少ないということを念頭に、

日本料理屋へ行こうとしたが、あいにく日曜日は休みだった。しかたがないので、

街をさまよって、たどりついたのはJellys Famous Deliというアメリカ料理の

お店であった。私はロールキャベツ、彼女はチキンピカタを注文。

予測通り大量の食事が運ばれてきた。しかしいつもいつも思うのだが、

これだけのものを本当にアメリカ人は食べているのだろうか。疑問に思い、

周りのテーブルを見回す。うん?みんななにやら袋を持っている。あれはなんぞや?

現在食べているカップルのテーブルを見る。お、何か注文したぞ。何を持ってくんやろ。

お、来た。手に持っているのは….スチロール製の容器ではないか。そこに食べ残しをつめている。

そっかぁ!残した物はもって帰ればいいのかぁ。日本じゃそういうことは、

はしたないこと(一部のおばちゃん族はするが)あるいはあつかましいことと

して忌み嫌われるが、アメリカではこれが普通らしい。

#後でガイドを調べると、それはごく普通に行われることだということが判明

合理的なシステムだと思い、我々も箱を頼む。日本で受けた躾はこの際、忘れる

ことにしよう。食べ残した半分以上の夕食を箱に詰め込んでホテルに戻った。

今もホテルの机の上に残されている。明日の朝御飯か昼御飯として消費する

ことにしよう。

 

しかし、私は思う。この合理性は何かが間違っているのではないか。

毎回もって帰るぐらいの料を給仕するくらいなら、最初から適切なサイズの食事

をだせばいいじゃないか!なんでいっつもいっつもこんな量が多いねん。

それも美味しいものならともかく、まずいときなどはもうこれは拷問のような

気持ちになるようなものを。値段だってもっと安くなるはずだし、経済的ではないのか?

答えはこれから経験を重ねればわかるのかもしれないが、考えるに基本的には

アメリカのMajorityがこれだけの量を「適切」と感じている証拠かもしれない。

残すのはMinority。一回、誰かレストランの食事の量はアメリカ人の健康を

害するおそれがあるので禁止してほしいと裁判に訴える人はいないだろうか?

ちょうどたばこがそうでああったように。

 

 


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