説明するときに意識すること

#雑多

何かの説明のときには,「歴史の流れ」と「現在の分野での位置」の二つの座標で整理しながら,「指針となる問題意識」を未来の一点として,一つのストーリーを作るようにしている.

Gromovのような独創の結晶のような研究も歴史的文脈からは独立ではなく,必ず,立脚点がある. まずはそれらの流れをしっかり把握する. 何のためにこれを研究しているんだろうとか,どうやってこれを思い付いたんだろう,という問いをさかのぼるということ. ちなみに,Gromovは過去の研究をほとんど元素レベルまで分解しているが,むしろだからこそピュアな問題意識が結晶しているとも言える.

また,学生の応募書類などでは,もしも現在活発に研究されている近隣分野にXとYとZがあるときにXを選んでいるなら,何故にYとZではないのかということを説明できる方が説得力があるだろう. 多くの場合にXを選んだきっかけは運としか言いようがないと思うが,それを選び続けている理由はあるはずだし,あるべきだ. ところで,論文がたくさん書けそうなものを研究分野に選ぶのはあたりまえみたいなことが某所で最近話題になっていたが,そう言いたい現状に一定の理解はできるにしても,それはあまりに本末転倒だし,さみしいんじゃないだろうか. このとき,XとYとZの共通点と差異をしっかり把握することが大切だ.

また,これらをストーリーとして整理する必要がある. やはりストーリーがないものは読みにくい. 教科書への揶揄として,これは辞書です,みたいなことを言うが,辞書というのは要するにストーリーがないものだ. ストーリーを描くとき,何か指導原理があると方向がブレない. 北極星を目指すようなものだ. ただ,その指導原理というのは,多様体を分類したいとか,そういう大きすぎる意味のない題目ではなくて,もっと実存的なものがよい.

参考になるもの