微積分2011授業日誌

久しぶりの微積分である。年年歳歳ぐちが多くなるのだが、教程の綻びは如何ともし難い。
自分が計算している内容に自信が持てないという。答えが出てもこれで良いのかどうか、 あるいは計算結果が何を意味するのか答えられないという。
なんとかしなくては、と思いつつ時過ぎぬ。

進度予定表講義ノートを道の糧に、いざ進まん。

参考書:

問題集(演習書)についてちょっと書いておこう。 大学の数学の場合、演習書自体が少ないこともあり、良いものとなるとなかなかない。 数多くの問題を取り揃えましたという感じのもの、あるいは教科書の問題の答えを詳しくつけました、というのがほとんどで、 相手の歩調に合わせて、つまずきそうなところは上手に手順を踏んで導き、気がつけば高いところまで運んでくれている、 といった詳しからず易しからず程々の手応えの階段を上手に按配して、というのは言うは易く、である。 それでも、無理にひとつだけ挙げると、「てっさ」の如き
磯崎・筧・木下・籠屋・砂川・竹山「微積分学入門ー例題を通して学ぶ解析学ー」(培風館)
いずれにせよ、自ら稽古せねば話にならぬ。

変量の間の関数関係は、次の本にあるかも知れぬ。一応見たが、そして関係はするが、何か違う。 現代の数学体系に引きづられない踏み込みは、やはり難しいのだろうか。むしろ、優秀な物理学者とかの感覚が近いのかも知れぬ。 工学系でまともなのは、案外、現代数学的であって、却ってオイラーの世界から離れるが如し。
高瀬正仁「dxとdyの解析学―オイラーに学ぶ」(日本評論社)
まだまだあるぞ。いわゆる出版物以外の資料にも宝が眠っている。
http://pweb.cc.sophia.ac.jp/tsunogai/kougi/10/suuB.html
これは、「不等式の数学」といったところ。より噛み砕いて、「近似計算の数学」だ、と思ったがちょっと違うか。 勉強の心得も書いてある。つい、いいたくなるのだな、分かるか。
数値計算の経験というか感覚は大事(だいじ)だ。 「原理・仕組みさえ理解出来れば、個々の応用は容易。個別の例示は挙げれば切りがないので、 できるだけ少なくして、考える力を養うべきだ。」と言っていた人がいた(今もいる?)。本当か。 これは秀才にしか当てはまらぬ。 きっと、秀才が言い出したことに違いない。秀才のみで世の中が動いているか。 普通の人の諸々の共同の上で成り立っているのではないのか。 くり返しのお稽古、これが決め手だ。まあ、忍耐といってもよいかも知れない。 従順性との諸刃の剣ではあるが。汗なくして何の楽しみやある。

そうだ、思い出した、木工名人の話だ。 水戸の東原というところに齢八十すぎの名人がおって、今も日がな何か作っている。
名人宣わく、教えるのなら中卒者の方がものになるな。
高卒者は、飲み込みは早いのだが、とことんこだわることがないというかできない。 そつなくこなした指し物は、見かけは悪くなくても長く使っていると狂いが生じるガタがくる。
見えないところに目がいくというか、 気になるというか、そういうのは、余計な知恵がまわらぬうちからの修行ができる中卒から仕込むのでないと。

この授業の最後で、簡単な微分方程式のモデルとその解き方について解説する予定であったのだが、 「連続関数の性質」をしないといけないことに気がつき、やむなく、ボツにした。 その罪滅しの気持ちが講義ノートの付録に化けたのだが、同じ趣旨の Differential Equations を見たほうが良いだろう。 昔は、これが高校の教科書の例題にあったのだな。 さて、関数関係を説明している本はないものか。

「てっさ」の心は「薄くて高い」。