10月の記録

健康保険に入る (10/19/2000)
今日は Office of International Students and Scholars (OISS)に 行った。ここはビザの発行など海外などから、この大学にやってくる留学生 ・研究者のために様々な手続きを行ってくれる場所である。私も実際、ここと 連絡をとりあって、ビザの取得のために必要な書類(IAP-66)を発行してもらった 今日ここにきたのはアメリカに到着した事を報告するということと、アメリカ 滞在中の健康保険(Medical Insurance)についての説明をうけるためである。 ご存知の人も多いかと思うが、アメリカでは日本と違って公的な健康保険制度 がないので、莫大な医療費を負担するための保険に入らなければならない。 また、Jビザで入国する外国人に対しては相応の健康保険に加入する事が 義務づけられている。
OISSに着くと、私担当のカウンセラーがJビザ所持者にたいする就労・旅行 などに関する制限事項を説明してくれた。このビザでの入国は最長3年。 私の場合は一年の滞在だが、延長したければ2ヵ月前に延長申請すればよい。 また、ビザの有効期間中に海外へ旅行する時は2週間前に報告しなければ ならない。ということは、妻が今度の月曜日に一時帰国するということは すでに報告していなければならないことになる。それを言うと、あからさまに 「困った」顔をして「なんで、それを早くいわない?」と言う。私としては そういうことを知ったのが今日だし、そもそも入国してからすぐに会うことが できないといったのはあなた自身ではないか!という意味を込めて「しかし、 あなたと会う約束をしたのが今日なので、そういうことを知る機会がなかった。」 と反論すると、「とにかく今すぐ書類を作成してもらいますから」とオフィスを すから」と一旦オフィスを出て書類の作成を指示してくれた。この一件があったので、 彼女の機嫌はすごぶる悪い。言葉もぞんざいになっている。それでも説明は続く。 J−1ビザを持つ物は須く以下のような医療保険に入る義務がある。そのことを 承認する書類にサインをさせられた。なんでも書類にして、残しておくのがこの 国の流儀である。その上で大学の提供する医療保険のパンフレットを2通手渡された。 ついでにアパートの火災保険についても訪ねたが、彼女は知らないと言う。 知っていても知らないと答えたであろうか? しかたがないので、それはアパートの 近所の人に尋ねることにした。(その夜、アパートの管理事務所に聞いて見ると、それは個人の自由で入って下さい。カリフォルニアの多くの人は火災保険には入っていない。 ので、こちらとしても何が良いかをすすめるわけにはいかないので、電話帳などを 調べて自分で当たって下さい。という返事が来た。)
アパートに帰り早速手渡された書類に目を通す。私は英語はもちろん、日本語の 保険の約款など読んだことのない人間なので、普段は目にしない言葉がたくさん 出てくる。まずは言葉の定義「けが」とは「病気」とは、「医療費用」とは、と いった具合である。わからない単語は逐一調べる。万一の時に知らなかったでは すまされないのでこちらも必死である。結局、私が買った保険は一生涯の支払 保険料の上限が25万ドルで、5000ドルまでの医療費は100%カバー、 45000ドルまでの医療費については80%カバー、れ以上については 100%カバーという内容のものである。パンフレットには入院時の 部屋代や集中治療の時の費用、手術、麻酔、24時間看護などの入院にかかる費用 の負担と日帰り手術を含む費用の外来費用の負担、それに救急自動車の費用などの 負担が細かくかかれている。日本にいると、医療の内容がどのように分担されて いるかなどとは全く気にする必要がないので、こういう書類に目を通しても、これで 本当に大丈夫なのかわからないのだが、幸い妻は看護婦なので、いろいろと聞く ことができた。さて、これらの費用を病気・けがの時に保険会社に申請して 払い込んでもらう仕組みになっている。さらに国際学生や研究者の場合は、 重度のけがや死亡など場合に本国へ送還するための費用を負担してくれると言う 特約も必要である。もちろん既往があったり生まれつきの障害などは医療保険の 支払い対象には成らない。それで夫婦で月103ドル。額面的には日本で払ってい よりは安いが、私の場合は日本でも共済の保険料を払っているので実に大きな負担 である。しかし、保険だけはいくらしても入っておかなければならない。これは 必要経費である。今日、申込書をにサインして、明日にでもそれを送る予定である。
日本の保険制度とアメリカの保険制度はこのように全く違う。lどちらのほうが いいのであろうか。確かに日本では高い保険料を支払ってはいるが、いつなんどき どこに行ってもちゃんと医療を受けられるという安心を買うことができる。 治療の内容や薬の内容などは、すべて医者任せである。一方、アメリカは 個人が一番自分にとってリーズナブルな保険を毎年買って、その上限の枠内で 指定された医療機関での治療を受ける。医者にかかるのにも、コストを考えて、寝 て直せそうなら病院には行かないで済ますだろうから、Informed Consentが発達 するのは、こういう状況があるからであろう。生活のパターンに応じて保険を選 べるメリットがあるが、貧しい人は医療すらままならない。行き倒れになっても、 救急車が来てくれるわけではない。低所得者層に対してはMedicare (MediAidだったかな?)という公的救済制度があって、一応の対策はとられて いるが、必ずしもシステムとして成熟しているとはいえないそうである。 逆に日本では、無駄に医者にかかったり、無駄に薬を処方したり、どんどん社会 保険や国民保険のストックを圧迫し、ついにはシステムそのものを破綻させかねな い状況が現におきようとしている。こういう制度が両国で発生したのはやはり 「医療機会の均等」という観念の把握の仕方の違いによると思う。日本の場合は 国民等しく同じ医療を一律低料金で受ける権利を考えるが、アメリカの場合は 同じ額の保険に入っている人どうしが、等しく同じ医療を受けるというのを 考えるのだと思う。丁度、教育機会の均等といったときに、等しく一様な教育を 考える日本と、同じ費用と努力をを払った人間が同じ教育を受けられることを 考えるアメリカのように。
ゴミ事情 (10/24/2000)
名古屋在住市民としては、分別収集のシステムがどのように なっているかが大変気になっていた。で、部屋を借りた後、入居者 のしおりの中の「ゴミの処理」の項目を読んだ。が期待に反して その記述は極めて簡素な物であった。
要約すると
  • ゴミは各階に備え付けられているゴミダストシュートを利用すること。
  • ゴミシュートにゴミを捨てる時は紙袋かナイロン袋で括ってすてること。
  • 生ゴミはできるだけGarbage Disposalを使って処理すること。
  • ゴミダストシュートには箱などの大きなものはいれないこと。
  • 粗大ゴミはアパートの入口にあるゴミ箱にいれること。
それだけである。他に何もない。まずは、各階に備え付けられている ダストシュートを見に行く。丁度高校にあったようなものがついていて そこにゴミ袋を投げ入れると、重力に任せて落ちていく。それだけである。 下にたまったゴミは定期的に収集されるらしい。
しかし、缶や瓶も一緒に捨てて問題はないのだろうか?ゴミを 集めるおじさんたちが指でも怪我しないのだろうか?管理人に とりあえず聞いて見る事にした。「瓶も缶も一緒に捨てていいのか?」 返事はもちろん「イエス」。だいたいなんでそんな質問すんねんと 逆に尋ねられる始末。どうやらアメリカの一般家庭には分別収集と いうような概念は全くないらしい。大学などに行くと、リサイクル ゴミ箱があったりするが、このようなことを可能にしているのは 大学関係者と言うある程度インテリな人が集まるからであるもの と思う。 他日ゴミの回収の模様を見る機会を得た。我々の心配など は全くの無駄で、要するに車に直結する大きな鉄製のゴミ箱 (日本では建築現場などで産業廃棄物などを処理するときによく使われる。) が車に牽引されて連れて行かれた。これならゴミを移し変える必要も ないからおじさんが割れた瓶で怪我をする事もない。
これは私の住むアパートのことである。では、周囲の家では ゴミをどのように処理しているのだろうか?見ると、各家庭の 家の前に黒や青のポスト大のプラスチック容器がある。ここに ゴミを出しておくようである。粗大ゴミをあつめるかごもところどころ に置いてある。これを定期的に集めて処理をするらしい。
そのような状況が分かる前に、二人でゴミ袋を買いに行った。 しかし、日本で良く見掛ける40リットルのゴミ袋はほとんど 売っていない。わずかに一種類あるだけである。20リットルは たくさんある。結局日本と同じ感覚でこの40のを買ったのだが、 これは無駄な買物になったことが後で分かった。というのも、 私の建物の場合はゴミシュートがあるため、いつでもゴミをすてて よい。だから、適当な時に小さなサイズの袋にいれて、すてれば よく、その結果、大きなゴミ袋にゴミをためておく必要もないのである。 しかも、LAのスーパーではナイロン袋をたくさんくれる。日本の ように厚手ではなく薄手なので二重にしてくれる。さらに、耐久性が 悪いのか、日本のようにつめつめにせず、ちょっといれてはまた 次の新しい袋を用意してくれる。そうしているうちに、家には 自然にナイロン袋がたまっているのでゴミ袋など買う必要がない。
それにしても、これらのゴミはどこへ処理されて行くのだろう。 アメリカは国土が広いのでどこかに埋め立ててもだれも困らないし、 LAを一歩出れば砂漠地帯が広がるから、そのど真中にごみ焼却施設 を作ってみんなもやせば、ダイオキシンなども問題にならないので あろうか。Garbage Disposalの処理に仕方を見ていても思う事だが アメリカの家庭ではゴミが環境を悪化させるという感覚は乏しそうで ある。ファーストフードの店に行けば、なんでもかんでも一つの ゴミ箱にゴミを捨てる。これは単にファーストフードだからではなくて、 アメリカ人の共有するゴミ捨ての感覚を体現化したものであることがわかる。 聞きしにまさる消費国家である。日本の鯨とか森林資源の消費をとやかく 言う前に自分の国のゴミ問題も少しは考えたほうがいいと思うのだが。 それは大きなお世話ということだろう。アメリカはゴミ問題に取り組む 最後の先進国になるかも知れない。
カリフォルニア住民投票(10/27/2000)
「Yes on Proposition 39!」というコマーシャルが今日も流れている。 何かの法律(Proposition 39)に住民の投票(審査?)の宣伝だ。何の気なしに テレビを着けていると、これに類する宣伝がやたら多いことに気がつく。 これは39だけではない、Prop.38とか、その他いくつかの事柄に着いて Yesに投票しましょうだのNoに投票しましょうなどとやっている。 Yahooで調べて見ると ホームページ が見つかった。これによるとカリフォルニア州の様々な様々な法案 についての住民投票であるらしい、投票日は2000年11月7日である。 今回投票の対象になるのはProposition32から39までの7法案である。
内容は
  • Prop 32, お年寄りだけの農家や家庭への援助金として$500,000,000の公債を発行するかどうか。
  • Prop 33, カリフォルニアの立法関係者が公務員の雇用システムに参加できるように憲法を改正するかどうか。
  • Prop 34, 選挙運動の費用の制限と公開を定める法案
  • Prop 35, 公共工事の発注を完全に自由化しようという法案
  • Prop 36, 麻薬等の使用・所持での処分軽減の法案
  • Prop 37, 公的な費用・税金の徴収を課す法案の可決に議会の3分の2の賛成が必要にする法案
  • Prop 38, 私立学校や宗教学校への生徒一人当たり$4,000のクーポン券の支給
  • Prop 39, 学校の施設やクラスに必要な資金を、その学校区の住民投票の55%の賛成で認める法案
などである。ホームページを見てもらえば分かることだが、これらの法案について それぞれ、この法案が可決された場合の住民への負担や変化などが示されており、 (例えばいくらの負担がかかるとか..) さらにこの法案の好意的な意見と反対意見 の両方が書かれており、投票者はそれぞれの法案について、考えることができる ようになっている。
特にテレビで活発にコマーシャルされているのがProp35 Prop38 Prop39についてで ある。Prop35は交通に関する公共工事の発注を一般企業から募集することを認める か否かという法案である。アメリカと言えば自由競争の社会だが、公共交通工事 (鉄道や道路の敷設など)はCalTransというところが一手に引き受けているらしい。 これが日々悪化するカリフォルニアの交通事情の改善を遅れさせているというのが 提案理由である。確かにLAにいると、慢性化した交通渋滞やなかなか延びない 地下鉄、いつ直るかわからない悪化した道路のコンディションなど日常の公共交通 整備の遅れがめだつ。法案の文面の中には10年程前のLA大地震の時の道路補修 がまだ済んでいない例などが挙げられている。LAぐらいの都市で地下鉄が貧弱なの も問題だし、なによりも車の廃棄ガスによるスモッグはいつも悩みの種である。 宣伝はそのような状況の原因をCaltransの硬直化した体制にあるとし、早く 一般企業の競争原理による品質のよい効率的な交通行政を実現しましょうと 主張しているのである。このようなコマーシャルがながれている。 逆にこの法案に対する反対意見としては、Caltransだけの独占ではない (いくつかの例がある)とか、選定プロセスのために却って行政の執行が 遅れるなどがある。反対を訴えるコマーシャルはこの法案の可決によって増税に なるということ一点に焦点を絞っている。交通行政について、いぜんとしてこのような 状態であると言うことを知り、むしろ私は驚いた。日本も公共工事の競争入札 精度を実質的に導入しているとは言いがたいところがあるが、一社独占という ことはなかろうかと思う。私はこの提案には賛成である。
Prop 38, Prop39は共に教育に関する法案である。しかも公債の発行と 関係がある。今、アメリカはたいへん景気が良く官も民もお金を持っている。 そのお金をどのように使うかと言う問題は、現在進行中の大統領戦も含め 最大の争点となっている。で、これらの法案はこの州での教育レベルの改善を 目指して提案された物である。カリフォルニア州はUCやUSC、Stanfordなどの 優れた大学を持ち多くのハイテク産業を発展させている本拠地であるにも かかわらず、初等中等教育の程度は全米でも下の方にランクされているらしい。 この状況を改善するために生徒一人当たり4000ドルの教育用クーポンを私立 学校や宗教学校(教会などが経営する学校)に通う学生を持つ家庭に支給しよう というものである。レベルは高いがお金がかかる私立学校などに通いやすく しようという処置だと思われる。賛成のコマーシャルはこの法案こそCalifornia の希望だと、崩壊した公立教育に不安のある一般市民に私立への転入の可能性 そして、その後に約束される子どもの輝かしい未来などを映像にして訴えている。 一方で、この法案には反対のコマーシャルも流されている。このような処置の ための財源が新たな増税を生み、さらに警察や消防そして何よりも公立学校の 資金などの減少を招き、結果的に公立教育のさらなる崩壊を招くという危惧が 述べられている。この助成クーポンというのは日本で言うところの私立助成金 というやつになると思う。私自身も私立学校の出なので、おそらくその 助成金のお世話になっていたことと思う。そういう点でみれば、私立に 行くには少しお金がないような家庭にはたいへんありがたいことかと思うが 公立学校の崩壊が著しい現在のカリフォルニアの状況(先生のレベルの教育 能力の低下、設備の老朽化、クラスの過密化)などを考えれば、小数の利益を 得るのに多数の負担を強いるこの法案には賛成し兼ねる。州の学生のレベル をあげる方策はもっと他にもあるはずである。
Prop 39は逆に公立学校の 施設などの改善のために公債の発行をそのエリアの住民たちに決定させる というものである。もちろんこの公債の発行に基づく利息などはその地域の 人々の負担となる。賛成意見としては地域の学校のことをその地域が責任 を持って改善できるという点が強調されている。反対意見としては、負担が 増えるといることはもちろんのこと、このように投票プロセルを経なければ ならなくなるということで、学校が自由裁量で施設の改良改善できなくなる という点などがあげあれている。背景としては公立学校が自分たちの目の前 で日に日に廃れて行くのを目のあたりにして、これはもう学校だけに任せては いられないということを感じているということがあろう。確かにそれは 法案としてはよいと思うが、これが導入されると高所得者が地域の公立学校 はますますよくなり、低所得者のエリアではいつまでもあれたままとなり、 公立学校の地域格差、ひいては住民格差へとつながり、結局は治安などの 問題と関係して、全体的なレベルの確保のために働くとは思えない。しかし、 前のProp38と違って、こちらは法案が通らなければ何もよくはならないという 点で、自分たちの住んでいる地域のレベルを維持して行くという観点から 賛成したいところである。
とにかく、この地域では住民投票が行われる。アメリカの市民はこれらの法案に 対して自分の意志を表明する訳である。日本ではまだ住民投票は認められ ていない。しかし、原発や公共工事などの可否などを含めて地域住民が 自分の住む地域のことについて投票をし、その結果が法的効力を持つように なってもいいのではないか。確かに国家や地域行政の方針と反対するような 住民投票結果もでるだろうが、選挙の時だけ住民の方向を向き、実際に 立法府に入ってしまえば、派閥や政党の論理で動いてしまうことの多い 現在の日本の立法の状況を見ていると、重要な法案は住民の投票によって 決めたいところである。また、人柄や政党で選挙するような今の選挙では 何が変わるのか目に見えないので投票率が低くなりがちだが、一つ一つ の問題に対するこうした住民投票はまさに住民の日常にかかわる法律なのだから、 関心も高くなると思う。
サマータイム(10/29/2000)
サマータイムという言葉は日本でもよく話題に登り、導入を いつも検討されるのに、いつもうやむやの内に導入されないでいる 制度である。要するに夏の間は日が長いので時計をわざと一時間す すめることをさす。ちなみにアメリカではDaylight Saving Timeと いう。この言葉が示しているように夏場の日中の時間を有効に 活用することを目的にしている。つまり、サマータイムで朝の7時 であれば、それは実際の時刻は朝の6時である。いつも朝の7時 に起きる人は夏だけ一時間早起きになる。5時に仕事が終わっても 実際には4時なので、日の長い夕方の時間を長く使えるというもの である。この制度はある意味で皮肉な制度で、本来ならば夜明けと ともに行動を開始し、日暮れとともに家に買えるという生活を していれば関係ないのだが、現代人は自分の行動を時計の時間 によって制御されているために、それに慣れてしまい逆に時計 の時刻をずらすことで夏の行動を決定しようとしているわけで ある。
今日10月29日はこのDaylight Saving Timeが終了する日で ある。最初はなんか中途半端な気がした。どうせなら10月末日まで にしておけばいいのに。しかし、その気持は今朝起きて見て納得に 変わった。今朝の目覚めは朝の10時前であった。昼から買物など にでかけようと思っていたので、そろそろ起きてシャワーなど浴びよう と思い、ベッドから抜け出した。ぼんやりした頭でとりあえずテレビ をつける。するとテレビの時間が一時間遅れている。もしやベッドに おいてある時計がおかしいのかと思って、他の時計を見たが、部屋の 時計は一様にテレビの時計より一時間すすんでいる。それでようやく 事情がわかった。これはDaylight Saving Timeの終わる日なのかと。
とまあ、このようにサマータイムに慣れない私のようなものが 今度サマータイムに突入する春先になれば、今度は時計がいきなり 一時間進んでいるのだから、最悪の場合は仕事の約束などにも遅れかね ない。学生などにとっては授業時間などに遅れたりもする。 だから、そのような小馬鹿ものでも被害を被らないようにDaylight Saving Timeは4月の第一日曜の午前2時に始まり、10月の最終日曜日の午前2時 に終わる。これなら、時間を一時間間違えても問題はない。
今日は朝起きて一時間特をした気分だった。
ハロウィーン(10/31/2000)
日本でも最近はずいぶんハロウィーンという言葉だけは聞くようになった。 Tokyo Disneylandなどでも、この季節はこのお祭りの名の下に様々なイベントが 繰り広げられている。しかし、日本にいる間、私は実際にこのお祭りが行われている 御目にかかたことはなかった。あるといえば去年の10月31日に心斎橋あたり をうろついていた時、外国人の一団が思い思いに奇妙なな恰好をして地下鉄の駅を 練り歩く姿を目にするぐらいである。最初は何かのパーティが開かれるのかと 思っていたが、聞くとハロウィーンだということで、強く印象に残っている。 しかし、それは本当のハロウィーンではなかろう。私の持つイメージとしては 庭に置かれたでっかいお化けの顔をしたカボチャとお化けの恰好をした子ども たちが家々をまわりお菓子をもらって歩くお祭りというものである。 実際にこちらに居るとわかることは、アメリカではハロウィーンはいわゆる 「子どもの日」であるということだ。子どもたちは本当にいろいろなコスチュ ームを来て家をまわって、実に楽しそうに談笑しながらお菓子をもらってまわ っている。
私のアパートに住む子供たちもそのお祭りに参加するらしく、アパートの 住人に対してハロウィーンに備えた注意書きのようなものが配られていた。 そこにハロウィーンの由来も書いてあったので引用しておこう。 それによると、そもそもハロウィーンの由来は古代ケルト人の古代信仰にあるらしい。 ケルト人の正月は11月1日だった。10月31日をもって穀物の全ての 収穫がおわり、長い冬が来るという節目を年の終わりとしたのである。そして その年末にあたる31日は死の世界にいる魂がこの世に戻って来ると信じられ ており、その魂を鎮めるためにそれぞれがあの世の恰好、つまりお化けの恰好を したという。その後、キリスト文化が浸透するに連れ、この祭は形骸化して 現在のような形になってのこったという。
さて、ハロウィーンを楽しんだ子供は勿論大人になるわけだから、この日が 大人を巻き込まないわけはない。というか何かにつけてお祭りをしたがる この国の人達は10月のビッグイベントとしてハロウィーンを楽しむ。私が アメリカに着いたのは2週間も前だが、そのころから大学のオフィスや 運転免許局にいたるまでかぼちゃのおばけが(プラスチックの風船みたいな やつだが)そこらじゅうを占拠している。テレビでも何かにつけてハロウィーン のことが話題に登っている。Westwoodにあるパーティグッズ専門店では 毎日のように特売の広告クーポンが入る。毎週一回開かれる青空市でも あきらかにそのためだけに使われると思しき巨大なかぼちゃが売られる。 そして、それを買っていく人も決して少なくなかった。
以上がハロウィーン前日までの町の様子である。これが当日になると 騒ぎはますます大きくなる。朝に銀行にいくと銀行ではハロウィーンと いうことで店を訪れる客にチョコレートを配っていた。 また、大学で仕事を終えて買える道すがら見かけたアホな学生達。 車を運転する骸骨、バスからは狼男がおりてくるし、あやしい黒マント姿に いたっては数知れない。(おまけに今日はWestwoodにAl Goreがやってくる ということでさらに騒々しい。) 子供たち以上にUCLAは学生がこのお祭り を楽しんでいる。今、私のアパートも子供たちの声で騒々しくなっている。
ハロウィーンはこのように大人にも子供にも楽しいイベントなのだが 今年はたいへん不幸な事件も起こってしまった。二日前の日曜日のことである。 West Los Angelsのとある家でハロウィーンのお祭りを楽しむパーティが開かれ ていたのだが、近所の人がそのパーティがあまりにやかましいのに耐え兼ねて 警察になんとかするように通報したらしい。通報を受けてLAPDの警官が様子を 伺いにいったところ、その家の入口で酒によってお化けの恰好をしたパーティの 参加者の一人が、ふざけておもちゃの銃を向けた。すると、恐怖を感じた 警官が発砲。その参加者が死んでしまったのである。警官は彼が本ものの銃を 持っていたと判断し、その被害者は警官の恰好をした友達が玄関まで出て来たものと 勘違いしたらしい。事件は不幸と言えば不幸な話である。ただ、警官が過剰に 反応したのではないかという論調の意見もある。しかし、冗談で発砲する 輩も多いアメリカでは、過剰とは言えまい。また事態をより複雑にしている のは、その被害者が黒人であるということ、その職業が俳優でERやLiar,Liar などの映画にも出演したことのある人物であったという点である。これから 調べが進んでいろいろなことがわかると思うが、事件そのものは本当に偶発 的で不幸だとしかいいようがない。以前日本人留学生がハロウィーンで お化けの恰好をして近所を回ったところ、その家の人が銃を発砲したと 言う事件があったことを思い出した。何が冗談で何が冗談でないかそういう ことさえも人によっては感じ方が違うという点が実にアメリカらしい。 被害者の冥福を祈りたい。
暗い話になってしまった。話を戻そう。ハロウィーンはさっき書いたように もとは「死者の魂の甦り」の日という意味があるので、これは丁度日本 のお盆のようなものである。日本でお化けのシーズンと言えば お盆と相場は決まっている、怪奇特集が組まれたり心霊写真の番組が 増えたりするのもこのシーズンだ。もともと温暖多湿な夏を迎える 日本ではお化けと夏というのは結び付きやすいと思える。しかし、 アメリカでは夏は休みのシーズン。ビーチのシーズン。お化けの話で 大切な時間をやり過ごしたりはしない。おまけにからっと晴れた この夏の気候のもとでは、柳のしたにどろどろといわれてもピンと こない。だから、お化けのシーズンはハロウィーンである。テレビでは 怪奇物の映画、ドラマ、心霊特集などが頻繁に組まれる。エクソシスト のディレクターズカットが今封切られているのも別に夏に間に合わなかった からではない。今がまさにベストシーズンだからに他ならない。今日は Westwoodから喚声が消えることはなさそうである。
11月は感謝祭、12月はクリスマス。アメリカ人のお祭りの季節が はじまる。

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