LA徒然草(3月)

3月の記録

国際関係 (3/4/2001)
先月、保険の話に関連させて、えひめ丸事件に対する解決の難しさに ついて書いたが、もう少し話をつめてみることにした。まずはじめにはっきり しておきたいのは、今回の事故の被害者は日本人であり、その遺族の悲しみや 潜水艦の乗組員に対する怒りはは勿論のことである。当事者である人々が この事件解明の過程の様々な時点で感情的になるのは仕方がないと思う。 日本政府は最終的にはこれらの遺族が納得できる解決をしなければならない ことも言うまでもない。しかし、これが国際間の問題であるという立場に立て ば解決に当たる当事者は勿論のこと、それを見守る私も感情的に対応しては いけないと思い、半分は自分への戒めの意味もこめて考えてみた。
以前書いたようにアメリカの人は事故によって生じる金銭的な賠償責任を 果たす事は当然と考えるが、被害者に直接謝るなどの誠意を見せることはしないことが 多いという。勿論、それは金銭での量刑を決定する裁判の段階において最初から 無条件に自分の否を認めると容赦なく、お金を取られるという法廷戦術的なことが あるのだろうが、結局のところ法は全てに勝るという法治国家アメリカの姿を見事 に反映していると思う。(日本だと最初に誠意を見せれば、本人が深く反省している ということで、量刑も軽減されるはずである。) とにかく、人種も基本的な物の考え方も事なり、共通の歴史も浅いとなると、 なにによってアメリカを統一国家足らしめるかと言えば、それは憲法とそして そこから導かれる各種法律しかないのだという感じである。人造国家アメリカと 言うのは、そういう国なのだと理解すればよいと思っている。
前回はそれでこのえひめ丸事件の日米間の感覚の違いがあるために難しい 処理になると書いた。というのも、謝ると量刑が重くなる国と、軽くなる国 のという、善悪の判断の基準が異なる国の間で今回の事故の調査とその量刑 が行われるからでる。がここで、ではどうやってこの問題が解決されるのが いいのかということになると、それは交渉によって解決するしかないと思う。 私は上記のようなアメリカという国のことがわかったからといって、「アメ リカにしてはよくやっている、だからまあこれでよしとしよう」という態度 で今回の処理をそのまま容認するのは間違いだと思う。また、逆に日本で聞 かれる「誠意が足りない、被害者の前で土下座して謝らない限り、アメリカ を許さない」といって感情的に反応するという態度も(遺族を除いて) 間違いだと思う。
日本とアメリカは違う国である。それはあたりまえのことで、そこに住 む人の常識が違う。一つの物事に対する、感情的な反応も違うであろう。 そういう中で共通に解決すべき問題が発生した時、相手と自分の考えの違いを 十分に認識して、その上で双方が納得する解答を見つけ出すのが交渉という ものであろう。だから、アメリカのことを良く知り、その立場を考えて 自分達の要求を引っ込めることと、ストレートにアメリカのものの考え方に 反発して感情に走ることは、出てくる結果はかなりちがうが、どちらも 日本人の考え方そのものであって、交渉をするどころの話ではない。 「そんなことはわかっているが、日本人が日本人の考えを押し通して 何が悪い。」と開きなおるなら、もうこれ以上の話は必要がないので、 そういう人は、せいぜい日本人の社会のなかで幸せに内弁慶で暮らして おればよい。というか、その方が本人にとっても日本にとっても 幸せというものだ。
事故をしても謝らない国民、日本人から視れば、全く心のすさんだ人達だが それはあくまでもアメリカ人のある一面を切り取って日本人の基準で簡単に判断して いるにすぎない。我々は善悪の問題として判断を下すのではなく、事実の認識 として受け取るべきではないか。その上でこちらが満足する結果を引き出す のが外交戦略というものであろう。とかく国際的な問題の場合は、双方の国から 自分の基準に照らしあわせて過激な意見を吐いて見たり、相手の期待外の反応に 過度の失望をする人々が現れる。そのような人達の意見にいちいち反応していては、 何も見えないし、何も解決しない。そういう人は、どちらの国にもいるのだから、 そういう擾乱に取り合わないということも大切だと思う。とにかく、冷静にことに 当たらなければならないし、実際の交渉に当たっている人々は、そのあたりを きちんとやっていると信じる。
私もそうだが、私達はとかくアメリカに特別の思いを持ちがちである。 さすがに60年代のような憧れの国というイメージは薄れたと思うが、その反動 かとも思えるようなアメリカへの批判も結局アメリカにことよせる自分達の イメージへの裏切りか肯定の結果生じているに過ぎない事を知らなければいけないと 思う。我々はアメリカを知っているようで知らない。というかアメリカ文明が あまりにも文明としての普遍性を持っているために知っていると勘違いしている。 ある国の一面だけを取り上げて、自分の基準で判断して分かったような気になっている 面がありはしないだろうか。今度の選挙の混乱を見て、アメリカの民主主義に 疑問をもった日本人は多いだろうが、それは日本人が日本人が考える民主主義の 基準に照らしあわせて判断していることはないだろうか。今回の一連の選挙で これがアメリカ民主主義の問題だという認識がアメリカ国内ではあまり大きな 流れにはならなかった。自分達の基準に合おうが合うまいが、とにかく事実は 事実のまま受け止めて、その事実の一つ一つの積み重ねから浮き上がってくる 全体像によってのみ、その国を知ることはできないと思う。
かつて日本はアメリカという国を、自らのイメージの米国として描き、そして 流れて来る断片的情報から自分達の基準に合うものだけを取り入れ、そして国の運 命を誤った時代があった。不幸な事にその時代の政治家はそれを自らの意図のため に利用した。その結果は惨澹たるものではなかったか。その事を忘れて同じような 対応をしてはいないか。戦前も戦後も我々はアメリカという国にある特別なイメー ジだけを持って、そのイメージだけで物を見ていると言う点では同じであるような 気がする。勿論、こういう面は、どの国にもあるのだろう。アメリカでも日本を 一つのイメージとして捉え、その中で判断を下しているという人も多いと思う。 しかし、そのイメージが各人によってまちまちであり、国全体をわたって 統一されてはいないのがアメリカの一面である。何かにつけ、肯定的な極論と 否定的な極論が入り乱れ、そして程度の大小の議論が入り乱れる。そんな中で 何かの決定をするには、客観的に相手を知るしかないように思われる。私が こちらに住んで毎晩のように関連の討論を聞いて感じる事は、少なくともまと もなマスコミや事に当たる政府の中には日本のことをきちんと研究し、正しく 理解しようと勤めている人 (それは決して最終的な答えが出るものでないという ことを知っているのだ) がいるということである。彼らは我々以上に私達の事を 研究しているという感じがする。そういう状況があるのは、やはりこの アメリカにおける意見の多様性によるのだろう。逆に日本では共通のイメージを アメリカ人よりも受け入れやすい環境にあるという点では、国全体を誤った方向 へ導くことが容易であるところが恐ろしい。期待するの は、戦前と違い正しく相手を理解しようとしている日本人が自らの主張を通すべく アメリカとの交渉に当たっているだろうということである。
と、書いてはみたものの、この考えそのものが私の日本人としての基準で 判断されているのではないかと思えたりもする。この危うさを取り除くためには、 私自身がイメージで物を判断しないことだが、それが出来ているかどうか。とにか くアメリカは、断片的な情報で流れて来るように、ああいう日本人の基準からみれ ばすさんだ面を持つ国であることは確かであると思う。が、そこをどうこう言って 感情的に判断して見てもどうなるわけでもない。むしろ、アメリカと言うのはあれ 以上でもあれ以下でもないのだから、その実体を詳細に知った上で自分の主張を交 渉によって認めさせるというのが国際関係ではないかと個人的に考えるということ である。全く、己を知り、他人を知る事は難しいことだと思う。ヨーロッパのよう に歴史的に自国と他国のイメージのぶつかりあいを経験していればひょっとしたら、 もっとこなれた国際関係が築けるのかもしれないが、アメリカも日本もそういう 日常的に自分達の姿を映す鏡を持たなかったという点では共通していて、わかった ような気分で安易な話合いをするとこじれることになるように思う。
人種問題あれこれ (3/6/2001)
人種差別はアメリカでは大変重要な政治課題である。そんなことは 誰もが知っているだろう。しかし、昔のアメリカのようにあからさまに人種差別が あるというわけではな事もまた、我々は知っている。特にLAは全米でも有数の 多民族エリアであるから、ちょっとこちらにいただけだと本当に人種差別などは もうこの地域に存在しないようにも感じる。しかし住んで見ると、まあいろいろな 人種にからむ話題で溢れていることがわかる。今日は、そんなLAで見た人種に絡 むいくつかのトピックについて書く。
● 人口比率
LAエリアにはマジョリティとなる民族がない。一番多い白人種で40%半ば しかなく、ついでヒスパニック、アジア、アフリカと続いている。私が知っている 範囲での彼らの出自としては、白人はもちろんヨーロッパからの移民組であり、 最近の研究でも、その多くは裕福な層に属しており、LAの郊外の安全な地域に 住んでいる。次にヒスパニックいわゆるメキシコからの合法・不法入国組のようで ある、特に集まってコミュニティーを作っている様子はないが、それは彼らの 人口が多いためで、その必要がないからだと思う。多くは中下所得層のようで ある。UCLA近辺では一番みかけることの多い人々である。彼らはメキシコから 流れているので、こちらで働く事が目的である。 一方、アジア系だが、こちらは国によってその事情が様々であるようだ。 中国は華僑、台湾の金持ち、香港が返還される前にこっちへ来た金持ちなどである。 共産中国亡命組はあるのかどうかは知らないが、人権活動家がいるくらいだから、 おそらくいると思われる。彼らはチャイナタウンを形成しているが、近年のダウン タウンの治安悪化を嫌って、今ではモントレーパークに大きな中国人街を作っている。 韓国は朝鮮戦争時に流れて来た金持ちが多いと聞く。彼らはダウンタウンからミッド ウィルシャーの間にコリアンタウンというコミュニティーを作っている。日本人は 戦前の移民組と戦後にグリーンカードを取得した駐在員などがいる。 前者はリトル東京、後者はトーランスやガーデナというエリアを中心に住んでいる。 やはりリトル東京 のあるダウンタウン近辺の治安悪化のために、トーランスやパサデナ、ソーテルなど に住んでいる。まだ、私は行った事がないがタイ人(これはどういう理由でこちらに 来たのだろうか?)やベトナム人(これはベトナム戦争でしょうな。)がそれぞれに 自分達のコミュニティーを作っている。最後にアフリカ系だが、私にはあまりわ からない。多くのアメリカの地域と同じく、遥かに歴史を辿れば労働奴隷かもし れないが、アメリカに住むアフリカ系の住人は、移民によって市民になった人よりも アメリカ建国の時からいる人の方が多いので、出自などがはっきりするわけでも ないし、する必要もない。彼らは勿論LAの至るところに住んでいるが、低所得層 が住むエリアに特に人口比率が高い。(勿論、彼らのほとんどが貧困層であるわけで はない。ビバリーヒルズにはたくさんのアフリカ系住人がいるらしいし、あくまでも エリアごとの人口比率の話だけであるが。)
● マジョリティーのないエリアの問題
これだけ人種が多様だと特定の人種が差別されるようなことがないように 思えるが、それはとんだ見当違いであるらしい。例えばInglewoodという街では アフリカ系住人とヒスパニック住人の間に相当根深い心理的圧轢があるという。 また、憶えている人もいると思うが、十年以上前LAで警官が黒人に暴行を加 えたという事件をきっかけに起こった暴動の時に、それに反応したアフリカ系の 暴徒はなぜかコリアンタウンを攻撃した。これらはあくまでも一例だが、どういう 力学が働いてそういうことになるのか、今の私にはよくわからない。いろんな人 に尋ねて聞いたところを総合すると、(それでも、当事者から聞いた訳ではないの だから、あくまでも推測の範囲を出ないのだが、)人種問題が顕在化する時、マジ ョリティーがないと、攻撃対象が絞れず、結局は自分達の経験の範囲内で攻撃対象 が決まるらしい。今回の場合はアフリカ系、韓国系の圧轢は どうも戦後、ダウンタウンエリアの近くのコリアンタウンに韓国人がどっと入植 してきて、その辺りの土地からアフリカ人を結果的に追い出したという経験がそういう 反応を産んだ(らしい)。誠に複雑怪奇な現象であるが、思うに必ずしも黒人と韓国人が いつも争っているわけではなくて、こういうものは、その時になって何かのちょっと したきっかけで、ある特定の対象にその怒りの鉾先が向くような印象がある。 各民族間には多かれ少なかれ、いろいろな爆発の種になる歴史的経験があるようだから (これまた印象であるが)、いつ自分達がそういう対象になるかはわからないように 思える。
● Affirmative Action
アメリカにはかつてあからさまに人種差別があった時代があって、それを 解決しようとして公民権運動が起こって今に至っている。だから、意識の 奥底に埋没した潜在的な差別の問題はわからないが、表面的な差別は法律の名の もとで裁かれることになっている。その法律に絡んで、Affirmative Actと言う 関連の法律がある。内容は人種的にマイノリティーに位置付けられて、就職や 就学の面で差別を受けやすい人を優先的に就職、就学させるという法律である。 例えばUCではそういうマイノリティーを優先的に就学させるような入学規定 がある。その他、職場には少なくとも何%の何系がいなければならないとか、 そういうコマかい規定もある。(同じ話は女性という性別に対してもある。) 私などは、能力のある人が人種によらず採用されるのが本当の差別の ない社会のように思えるのだが、それはどうもアメリカでは違うらしい。 生まれつきに人種が違うと言う事で何かと不利な位置にたつことが多いから、 少し有利な措置をとって、いい環境の中に入れるようにするという考えから 来ているという。歴史的に避けがたい人種差別を持った社会が、初期値とし て生じざるをえない人種に絡む差を法律で埋めようとした結果だと思える のだが、いかがなものか。
また、大学などの研究機関も人種問題に関する様々な研究を している。UCLAのDaily Bruinを読んでいるだけでも、一ヵ月に 何度も人種の差がどういう形で社会に存在しているかという記事を 載せている。その内容もやや感情的かなと思えるものから、客観的な 研究まで様々である。差別という問題が表面上 から消え去ることによって、無意識的に差別が染み着く事を恐れている ように思える。差別があるという実体と差別があったという事実を 皆が忘れれば差別はなくなるような気もしないでないが、差別意識が 各個人の意識しないところに残り、意識なく社会に差別が残る事が あれば本質的な解決にはならないような気もする。差別と言うものは 、そのありようをを意識化し、それを意識した上で理性でそれをなくす という方向が彼らの考える解決方法なのだと感じている。
銃のこと (3/11/2001)
先週の事だがサンディエゴの郊外、サンディーという街の高校で 学生が銃を発砲するという事件があった。これは日本でも大きく報道された ので、またもや銃社会のアメリカの危険性を印象づけることになったと思う。 もちろんこの事件はアメリカでも大きく報道された。それだけではなく、 犯人の少年は実名報道され、そして顔写真だけでなく、逮捕後行われた裁判の 模様もテレビで放送された。加えて、どこから入手したのかは知らないが、 少年が事件の一ヵ月前に記録した自分の姿と自分の家の様子も流された。 その中で「僕は学校が嫌いだ」などという発言をする少年の音声が流れたりして、 少年だからといって報道を控えるというようなことは全くなさそうだった。 少年による凶悪事件が日常茶飯事だから、そうなったのか前からそうだったのか それは知らないが(今度知合いに聞いて見よう。)、今回のケースはとにかく 全て大人と同じ扱いで、裁判も刑事事件として行われる。ただ一つ、少年という ことで配慮されている(?)のは、死刑だけは免れるということである。
このような事件が起こると、それを真似して同じような事件が 起こるのはアメリカも同じで、この事件の後、数件の少年による発砲事件が 相次いだ。(こういうのを英語でcopycatという。) これらの事件は発砲による 死傷事件という凶悪な事件なのだが、その動機と言えば「友達にいじめられた」 とか「学校に怨みがある」などと言った、別に日本でもよく聞かれる少年 事件のそれとよく似ている。日本ならバタフライナイフだがアメリカなら銃 という、それだけの差である。だから、本当の問題はなぜ少年達が自分の ために友人や先生を殺そうと考えるのかというメンタリティーの解明にある はずで、その被害の大きさではないと思う。しかしながら、やはり少年でも 銃に簡単にアクセスできるという環境が周囲に与える影響は測り知れず、 その意味でも銃社会アメリカには日本にはない問題の視点というのがある と思われる。
ここでアメリカの銃の事情を大上段から論じる事はできないが、 これに関連して、英会話の時間やテレビのニュースなどで、 こちらで聞いた銃に関する話を書こうと思う。
まずは銃がどのくらい普及しているのかという話であるが、統計を 示さず、もう少し肌身の感覚で身近に言うと「自分の友人の何人かは持 っている」という状態らしい。カリフォルニアでは銃を購入するのは合法 だが、それを常時身につけて所持するには登録が必要だという。ということは 護身のために枕もとに置くのは合法だし、車のダッシュボードに入れておく のも合法である。そういうわけで、銃そのものに使用については購入に関しては まったくの自由であるが、それを町中で持ち歩くのは違法だということである。 こういう状況で銃はどう扱われるかと言うと、日本での包丁のそれとたいして 変わらないとのこと。つまり、子供の手の届かないような所に隠しておくという 程度の感覚で家の中に銃がおかれているのである。このような状況だから、 もちろん事故がよくおこる。子供が誤って発砲したというものから、夜中に 旦那が遅く買えってきて、それを泥棒と間違えた妻が発砲というものまであって、 それらは決して珍しいことではないらしい。結局、銃は至る所にあり、法律で 何が禁止されようとも、銃を持つ本人の意志次第では、いつでも銃口は我々に 向けられる可能性があるというわけである。
なぜ銃を持つのか?みなが銃を持たなければよいではないか。という 議論は勿論アメリカにもある。しかしそれができないのは、やはり他人が銃 で自分を攻撃してくるかもしれないという恐怖 (だから銃を持つ。これは 完全にニワトリ・卵の話だが) があるからという。また、銃の問題は 銃の問題ではなくて、銃を殺人のために使おうと考える心の問題であると いう(もっともだが、理想論に過ぎる)考え方もある。護身のための 武装は憲法で認められている基本的権利であるという考え方も、やはり 民族のDNAの中に埋めこまれたもので、もはや抜きがたいと言うのも あるだろう。一方、逆の見方もあって、カリフォルニアが州になったのが 1851年、それまではまだまだ何が起こっても不思議ではない状況 だったのだから、高々150年の歴史で本当に安全な社会が実現できる とは考えられないという人もいた。いずれにしても、銃と言うのを完全に 禁止してというのが、国全体の方針として定着するのは、お酒の禁止と いうのと同じぐらい難しいことのように私は感じる。
おとといテレビの特集で、ある実験が行われた。 6歳から18歳までの少年・少女を銃の危険性を教えると言う 名目で集め、「銃は危険だからみつけたら、すぐに両親に告げる ように」と教えておく。 そして、休憩時間の時に休憩室に実銃で弾を抜いたものを しのばせた部屋に入ってもらう。その休憩室には隠しカメラがあって、 遊んでいる最中に銃を見付けた子供達が、どのように振舞うかを 調べるというものがあった。その結果は、男の子のほとんどは銃を 見付けると、それを見付けたと報告するどころか、年齢を加えるに したがって銃を友達に向けたりするという有り様で、同席して その様子を隠れて見ていた親を一様に驚かせた。彼らは銃に 弾が入っていないことは知らないことになっているので、ひょっとして 銃から弾が出るかも知れないのだが、ふざけてでも銃口を人に向ける という姿を見ると、何とははっきりいえないが、少年と銃の問題における一つの 実像を映していると思う。男の子であれば、やはり銃を見れば、構えて たくなるという気持はあるだろうが、それ以上に銃と言うのが、アメリカで は強さの象徴であるのだと強く感じるのである。
刀狩で一般市民が武器を捨て、そして廃刀令で武器を捨てた日本人 の歴史を思うと、アメリカの銃の問題を想像するのは日本人の感覚では とうてい扱いきれないテーマのように思う。
UCLAProfessors.com (3/13/2001)
http:// www.uclaprofessors.comというホームページがUCLAの 学生の手によって運営されている。 何をするホームページかと言うと、 一言で言えば学生による教員評価である。このHPに入って自分の取っ ている講義の教員を検索で探し、そのページの上でこの講義の評価を するというものである。評価の方法は、まずその講義についての (1) Effectiveness (2) Difficulty (3) Concern (4) Availability (5) Recommendation の5項目について10段階評価をする。それから 自由にコメントをする欄に自分の感想などを記入するという具合である。 この5項目の10段階評価はすぐに集計されて、全学における教員評価 トップ10とワースト10がランキング表示される仕組みになっている。これを 見れば自分の取ろうと思っている講義の先生が、どういう評価を過去の 学生から受けているかは一目瞭然にわかるようになっているので、 次の授業の受講の選択に多いに役立つというわけだ。評価は毎週更新 されているが、今週はWinter Quaterterの試験期間に入っているので 学生が受けた試験に関わるコメントも増えている。
学生に取ってはいいHPのような気もするが問題もある。まず その書き込みや評価が全員に対して行われたものではないということで 本当に正しい評価が行われているかはわからない。次にこの書き込みを するにあたり、誰が投稿したかは問わないようになっているので、 本当に学生が投稿しているかわからない。次に個人的な誹謀中傷と 思われる内容については、このHPの運営委員が判断をして掲載を しないようにしているというわけで、ある程度の情報フィルターが あるのも事実である。情報源としては玉石混淆といった状態のように 思われる。私が京都に入学した時、学生の有志が新入生などに向けて、教養部の 教官の受け持ち講義一覧とその評価(A,B,Cなど)を書いた紙を もらった憶えがある。その評価の基準は単位の取りやすさという面だけ での評価だったと記憶しており、そういう意味では上の評価(2)だけを 我々に示したものだと言える。単位の取りやすさだけが先生の評価基準と 言うのはなんとも日本の大学事情らしいが、こういう試みが現代の技術の 進展とともにHPにして一般に公開されたら、同じようなものができる あがるのだろう。
情報源といての怪しさがあるという危険性はあるが、それを十分認識 しながら読んでいると、かなり真面目に評価が行われている面があると 思われる。例えば ベスト10・ワースト10になっている教員の評価を読 んでいると今の学生が何を持って評価の基準にしているかがわかって面白い。 単位の取りやすさも勿論だが、例えばワースト1の教授に対しては 「彼は講義が単調で学生に理解させようという配慮がない」とか 「彼は知識は十分であろうが、教えると言うことはまったく不十分」、 「彼は研究の事しか頭にない」と言ったものがあった。学生の 方を見ず黒板と会話する教授の講義が想像される。読んだ感じで言うと 学生が嫌うのは「授業のポイントが見えない」授業や「学生との 対話のない」授業のあることがわかる。時代が変わっても学生が敬遠 する授業というものは(当り前だが) あまり変わらないものである。
また、直接に評価される教官の方は、この評価を読んで自分が学生にどう 思われているかを知る事ができる。ある人はそれを読んで講義を 改善するかもしれないし、ある人は学生の言う事に耳を傾けず そのままかもしれない。それはある意味正しい対応だと思う。 そもそも学生が教える側の学問的誠意を勘違いして単位のとり にくさに厳しい評価を下したり、ただエンターテイメント性が強くて、 単位が取りやすい教員がいいように評価される傾向は否定できず、学 生の声を100%取り上げるのは全くのナンセンスだからである。が、 一歩踏み込めば多くの学生がわかったように感じないような授業をして 学問的誠意を守ったとしても、教育と言う面では失敗しているような 気もするのである程度の配慮と改善は必要だと思う。そういう意味では こういうHPが存在する事は悪い事ではない。
私自身の経験では数学の講義などは、その時聞いて100%理解 できたということが少なくて、後で自分で本と向かい合って考える時間 の方が多かったように思う。おそらく事実はその後の時間というのが 本当の勉強になっていて、授業はイントロに過ぎないのだろう。どんな こともやはり自分で考えて血肉としない限り、自分のモノにはならない と思う。だから、学生が分かるように配慮しすぎて、学生が自分で考えない ようになれば、それは意味がないと思う。高校までは確かに受験と言う ある種のテクニックを問われるイベントがあるために、教えられた通り 「習う」ことが求められ、それを「理解」と感じる。が、大学で学ぶ ことは「習う」以上に「考える」ということなのだから、あまりに高校的 な配慮をするのもどうかと思う。が、これまた私の経験では私の大学の 講義では授業の理解に対する教員側からのフォローも少なかったと思う。 自分で考えると言っても学生の生兵法では、考える方向が誤った方向へ 展開して、結局何も理解できないということもありえるので、適切な ディレクションは教える側からも必要だろうと思う。例えば数学なら 授業ときちんと連動した演習の時間などはそうだろう。このつかず 離れず学生を指導することが教えることの難しさで、面白さのように 思うが、実際に教壇に立ったことのない私のこうした考えはまだまだ 未熟な学生側の意見なのかもしれない。
いずれにしても、日本の大学でも遅かれ早かれこのようなページが 登場することが予測される。学生を大学のお客と見れば、こうした学生の 声にきちんと答えるのが教員の役割だと思う。また、そういう人気投票が 大学内での教員の評価に間接的に影響するということも考えられる。 大学は予備校ではないのでカリスマ教員は必要ないと思うが、予備校に おいて人気のある先生の中には本当に教える事がうまくて、学生を十分 満足させる人もいるので、そういう技術なり考え方なりは学んでもおかしく はないだろう。
ホームレス列伝 (3/16/2001)
私が日本を出発する時、大阪市のホームレスが問題になっていた。 長居公園にホームレスの収容所を作る作らないで市と現地の住民、それに 収容されるべきホームレスとの間に深刻な圧轢が発生していると聞いた。 しかし、日本のホームレスというのはビニールシートで家を作りそして どこから取っているのか知らないが電気をつけたりしていたりする。 ガスコンロがあって毎晩の食事を作ったり、犬を飼っている人も少なく はない。(これは防犯の意味だろうが) 確かにそういう人は特殊な一例な のかも知れないが、とにかく一様に言えることは彼らは決して普通の人に 物乞いをしないという点である。さて一方、勿論というか、アメリカにも やはりホームレスはいる。この5年ばかり、IT産業がカリフォルニアを 支え常に働き手が足りないという状態が続いていたにもかかわらず、LA にもホームレスがいる。それも一人や二人ではない。そして日本と違い、彼らは 縄張の地域ようなものを持ち、そこで露骨な物乞いを展開してくる。 まずは、こちらで見たホームレスの幾つかの例を書くことにしよう。
● ハンバーガー叔父さんの大戦略
この叔父さんは白人のずんぐりした感じの人である。この人が ホームレスである事は、彼に物乞いをされるまではわからない程で、 いつも見に付けている服はいつも同じだが、どこで洗濯しているのか は知らないが小ざっパリしている。しかし、Westwood内によく現れて お金を道行く人に乞うている。その戦略も特徴的で片手に2、3枚 の「呼び水」クォーターコインを持って、それを見せながら「あと 25¢くれたらハンバーガーが食べられる」といってお金を乞うという ものである。そして、その方法は結構成功しているようで、時々という かしょっちゅう近くのピザ屋とかスターバックスで食事を取る姿を 目撃する。ひょっとしたら、この人は物乞いを職業にしているのかと さえ思える。先日、妻が物乞いをされて、手持ちのコインがないので、 マーケットで買って来たレモンを渡そうとすると「それはすっぱいから いらない」とあっさりと受取を拒否されらしい。どうやら欲しいものにも 好みもあるようだ。(お金以外は貰わないのかもしれない) この叔父さんは 先日ここから10キロ離れたBeverly Hills内にあるBeverly Centerという ショッピングセンターの前にも出没していた。おそらく、バスで移動して いるのだろう。WestwoodといいBeverly Hillsといい、この叔父さんは比較 的金持ちをターゲットにしているようである。
●バスホームレスの経済学
ビッグブルーバス(サンタモニカ市バス)に乗っていると、時々出現 するのがこの人である。こちらは、いかにもホームレスという感じで、臭い もすごいし、本人もあまり清潔ではない。しかし、彼はバスに乗るお金(50¢)は 持っている。そしてバスに乗るとおもむろに「1$くれ」と額面指定 で物乞いを始める。不潔にしているのも戦略かと思われるのは、あまりこの 人が近くづくと、臭いがきつくて絶えられなくなるため、つきまとわれるの が鬱陶しいと感じた人がお金を渡すと言う具合になっている点である。が、 お金を渡すと言っても自分の持っている小銭をかき集めて渡そうとすると 「おれは一$が欲しいんだ」と主張して受け取らない。バスの運転手が注意す るぐらいでは決して物乞いをやめない。彼が一$を欲しがる理由は簡単な経済 学で、投資が50¢なら収入は2倍欲しいと言うことだと解釈している。
と、このようになかなか日本では見掛けないタイプにホームレスが いる。彼らはある意味特別な人達で、一番オーソドックスな形は特定の店 の前にずっと座って、そこから買物を終えて出てくる客に小銭を要求する というもので、小銭を持っていないなどと言って物乞いを拒否すると 「俺はお前が小銭を持っているのを知っている」と大声で叫んでお金を要求 することもしばしばなのである。いずれにしてもお金をきちんと要求すると言う 姿勢はみな共通している。
いろいろ現地の事情に詳しい人から話を聞いていると、日本では人に 物を乞うという行為は恥ずべき行為であって、いくら落ちぶれてもそれだけ はしないが、アメリカでは落ちぶれたものがお金のある物から施しを 受けるのは当然の権利であると考えるために、何の屈託もなく物乞いが できるのではないかと感じるようになった。確かに彼らに話を聞いた訳で はないのだが、物乞いをしてお金を渡す側も結構ドライにお金を恵むし、 受け取る側も別にそれが当り前のように受け取る様を見ていると、そう 感じざるを得ない。そして、今はまだ好景気の余熱が残っているので 恵む側にも余裕があるし、恵まれる方も苛酷な競争があるわけではない ために、彼らを前にして身の危険を感じることは少ない。(本当に危険と 感じるのは、むしろたむろするティーンエージャーの若者の群−これは日本 と良く似ている。−と、これはUCLAに特有のことかもしれないが、精 神病患者がUCLAの病院を追い出されて、付近で生活を始めたような、 言動不審の人の近くを通る時である。)
とはいっても、最近はアメリカの景気後退が進み、至る所で在庫処分を目的とした レイオフ(一時解雇)が実施されており、雇用保険の申請額も急増していると いうニュースを耳にすることが多くなった。その影響で、これからホームレス が急増するということも考えられる。好景気でこの状態なら、不景気になれば どうなることか不安である。というのも、現在はある程度恵む側と恵まれる側のバラ ンスが維持できているから紳士的にお金を要求し受け取ると言う姿があるわけで、 これが恵まれる側の急増につながると、バランスが崩れて恐ろしいことになるので はないかと思ったりする。
ラジオ出演 (3/17/2001)
もう2週間も前のことになるが、現地に滞在している日本人向け に放送されている日本語ラジオ放送に出演した。日曜日の午前10時から 12時までの生放送である。タイトルは「さわやかサンデー」という。 内容はいくつかのレギュラーコーナーと現地LAに住む日本人を毎週数人程 招いて、その人を交えてのフリートークからなる。この番組でレギュラー コーナーを持っている人と偶然にも同じアパートに住むことになり、その縁で 一度出て見ないかとお誘いを受けたのである。話す内容はなんでもいいのが 私はなぜか数学教育の話をすることになった。わざわざラジオで日本の数学 の話をするというのは聴取者にとって退屈極まりないような気もしたが、 せっかくの機会なので受ける事にしたのである。
私は車を持っていないので、ラジオのパーソナリティの方が家まで迎えに 来て下さった。フリーウェイを走る事30分。トーランスに放送局がある。 局内に入って、自分の出番の打合せをする。ラジオには以前東海ラジオに出させ てもらったことがあったので、スムーズに進んだ。この日のゲストは 日本舞踊のお師匠さん、剣道の先生(本職は寿司職人)、講談師(本職は日本の 旅行代理店の駐在員)という顔ぶれで、私以外はみな日本を濃厚に感じさせて くれる構成であった。
私の出番そのものは無難にすんだ。数学に対する印象が少し変わったと いう感想をもらったりして、それは有意義であったと思う。それよりも有意義 だったのは他の出演者との話であった。講談師をされている方は現在在留で 日本のとある有名旅行代理店のディレクターをしておられる。日本で50人 しかいない講談師なのにLAにもいるというのは驚きだった。実際にライブで その語り口を聞くのも、たいへん面白かった。日本語で何かを語るとき、この 調子がしっくり来るように感じるのはやはり歴史というものであろう。歴史と いえば、講談は落語などよりも古く、その起源は戦国時代あたりまで遡るらしい。 戦記などを大将に語って聞かせるために開発された話術だという。だから、古典 講談というと戦記物が多い。こちらに来て講談の腕を磨く為にLAのあちらこちら に向かっては講談のライブをしておられるということである。剣道の先生は 本職は寿司屋の職人で、その間に剣道を子供たちに教えているとのこと。柔道や 空手はこちらでもメジャーだが、剣道は人口はそれほどでもないという。 最後は踊りの先生二人。あまり長くは話をしなかったが、アメリカにいるからこそ 日本の本当の舞踊を守りたいという言葉には強いものがあった。3組が3組とも 日本の伝統芸能に関わっており、それがLAのラジオ局にやってくる様をみると 住んでいる人のバラエティという面でLAは世界で有数の都市の一つなのだと 感じた。LAの在住日本人の生活が精神的に豊かであるという証拠だと思う。
貴重な体験をさせてもらった。
お酒 (3/20/2001)
こっちに来てから、酒量が減った。なぜだろう?
まず思い付くのは飲み会がないということである。以前どこかで 書いたかもしれないが、こちらの大学の関係者は「お客さんと食事をす る」といえばランチのことであって、夜のディナーではない。だから、いわゆる つき合いの飲み会というのはない。こちらにいると、酒を飲んで懇親するという のは極めて日本的(アメリカだけが特殊なのか?)であることに気が付く。この 理由を、何人かの先生に聞いたことがあるが、だいたい帰って来る答えというの は、飲んでしまうと家に帰れなくなるというものであった。多くの人が車で1時 間以上かけて大学に来るというLAの通勤事情を考えると、夜に飲みに行くなど と言うのは自分の家の近くのパブかお客を逆に家に招いて開くパーティぐらいの もので、確かにそれは理に適っているし、実際にアイデアや近況情報を交換する ような場合は酒を飲んでうだうだするより、コーヒーでも飲みながらするほうが 効果が高いようにも思う。
つきあいの飲みがなければ、後、夜に飲む機会と言えば、親しい友人 ぐらいのものである。こっちにきて何人かの友人が出来て、そういう 人達と飲む事もたまにある。また、日本からお客がくれば、お酒を飲む こともあるが、それでも日本の時のように酔っ払う程飲んだりはしない。 私の場合一人で飲むと言うことがないので、こういう機会もなくなれば、 ほとんど酒を飲まなくなる。
あと理由として思い付くのは、こちらでお酒が簡単に飲めないというのが ある。ここでは、お酒を買うにしても飲むにしても、かならずID確認が行われる。 21歳以上でないとお酒を売ってくれない。よく言われる事だが、日本人は若く 見られる傾向にあるので、妻は勿論この鬚面の私でも疑われる。こんな20おる わけないやんかと突っ込むこともできず、しぶしぶパスポートを出す。毎回パス ポートを出すのはかなり面倒臭いので、結局お酒は本当に必要な時だけしか買わ なくなってしまった。普通のアメリカ人は免許証をIDとして使う。しかし、免 許証をとっても実際に免許証が送られて来るのは取得後6ヵ月。はっきり言って 一年の短期滞在者にとっては有名無実のIDでしかない。
それにしても、こちらはお酒の販売に関しては、本当に厳しい。未成年に お酒を売ると、その店にはペナルティが科せられ、それが3回になると酒を 売る許可を取り消される。先日私の家の近くの酒屋が免許を取り消されたから 形式的な法律ではないことがわかる。また、その事件があってから、他の店では チェックがかなり厳しくなった。昨日などは友人がビールを買いたいと言うので 付いて言っただけなのにレジで買った本人だけでなく私にまでIDを要求した。 ちゅうことは、隣に子供がおったら、おまえらは酒を売らんということかい。 まあ、とにかく厳しすぎるのにはうんざりさせられるが、悪い面ばかりでは なくて、日本のように酒のみに寛容すぎる社会でよく見られる、酒を飲んで しまえばなんでもありの人々は厳しく扱われるのはよい。特に飲酒運転に 関しては容赦がない。このことは、あたりまえのことだが、日本ではその当 り前ができていないところもあるので、一概にどっちがいい制度かというこ とは判断できない。
ちなみに、こちらのビールはまずいという一般的認識が日本には ある(というか私にはあった。)が、以外とこちらはインポート天国で うまいヨーロッパビールが安く飲めるし、アメリカでもmicro-Beer やSamuel Adamsというようなうまいビールも飲めるので、それは間違 いである。ワインも日本なんかより、遥かに安くてうまいカリフォルニア ワインが飲めるので酒環境自体は悪くない。
フィットネスクラブ (3/26/2001)
こちらに来て以来、Wilshire通りを歩いて目にするものが、通称「金魚鉢」 と呼ばれるLAフィットネスクラブである。なぜ金魚鉢かというと、クラブ内が ガラス張りになっていて、道路からそのガラス越しに最新のフィットネス器具を 使って汗を流すアメリカ人の群が見えるからである。これが結構恥ずかしいものが ある。私はそれを見る度に、それだけはやるまいと思っていたのだが、日に日に鈍 ってゆく自分の体に耐え兼ねて、遂に入会してしまった。これで私も健康フェチの アメリカ人の仲間入りだ。
自転車を30分。それから筋トレを15分。そしてウォーキングを15分 というのが基本メニューである。自転車は100回転/分でやる。心拍数を 睨みながら体脂肪がもっとも燃えやすいレンジで回転。これで300キロカロリー。 体が温まれば次はウォークアウト。二の腕から腹筋、そして背筋、そして下腿 筋と締めたい部分だけに効果のある機械でインターバル。最後は歩いて1マイル。 だいたい400キロから500キロの運動である。こういう消費カロリーを 考えながら機械の上にいる時点で、もう恥も外聞もない。数字と言うのは人を 夢中にさせる。
ジムの扉をくぐると、体つきのよい私の担当のお兄ちゃんに挨拶をする。 「Hi! How's work out!」と声をかけられ、「I feel great!」と答えれるように なると、何か日本人として大切な物を失ったような気がする。テレビの筋トレ グッズの通信販売を見て、真剣に品定めをするようになってしまうと、それは 単に笑って見ていられない状況である。しかし、一旦そういうこだわりを失えば 確かに自分の気になる部分を効果的に鍛える運動をするのは悪い物ではなく、ひと 汗流した後の爽快感を考えれば、むしろ満足度はかなりい高いとさえ言える。 要するに私ははまっている。
ジムに通っている人々には、いわゆる筋肉マニアと、痩せなければ今後の 健康に悪影響のでそうな人々が多いが、意外と女性が数多くいる。こちらの 女性は夏になると肌の露出が多くなるが、そういう恰好をするには、こういう 努力が必要なのかと思ったりもした。(いや、勿論そんなことは全く気にせず ヘソ出し、実は腹出しという人も多いが。)
それにしてもカロリーの高い食事をとって、高い会費を払ってそのカロリー を消費すると言う図式は、やはり何かおかしいようにも思う。ダイエットコーラ やダイエットDr.ペッパーを飲むのはいいが、それを2リットル単位で飲んでは 意味がないし、何でもローファットなのはいいが、それで落ちた味を補うのに べったりとローファットバターをつけるのも何かがおかしい。それは要するに 思う存分食べるために運動するということなのだろうか? 現代の食習慣では どうしても過食になりがちだし、健康のために余分を燃やす為に運動するとい うのは理に適っているとは思うが、やはりまずはインを減らす事から始めることが ダイエットの第一歩ではないかと考える。
ニューオーリンズ (3/28/2001)
先週の週末の連休を利用して、ミシシッピ川の下流の街、ルイジアナ州 ニューオーリンズ(以後NO)へ行ってきた。LAからは飛行機で4時間程かかる。 アメリカの南部へ行くのは始めてだったので見るもの聞くものが目新しく、たい へん楽しい旅行になった。
街の性格が、人間と同じように、その歴史や経歴によって決定されていると 考えるならば、NOはまさにアメリカの中にあって、アメリカらしさを持たない 街である。NOは18世紀始めフランスの植民地として開かれ、その後7年戦争を経て スペインに侵略され、そして19世紀始めナポレオン統治下のフランスが買収した。 しかし、経済的な困窮から、アメリカ合衆国に売却された。それ以来アメリカの 都市である。そういう意味で文化はフランスとスペインの色合いを濃く残している。 そういう観点からNOの様子を描写して見たい。
まず、街の建物の雰囲気だが、観光の中心はフレンチクォーターというエリアに 集中している。名前から想像される町並みとは異なり、現在フレンチクォーター はスペイン統治時代の町並みが残されている。これは最初の入植者のフランスが 作った街がスペインとの戦争でほとんどなくなったことによる。碁盤目に通った 狭い路地に3階立てのバルコニーを持つ建物が立ち並ぶヨーロッパ的光景は、ア メリカの中では本当に特異な景観美を残しているといってよい。このエリアの中心 にジャクソン広場と大聖堂がある。週末ともなると、市民と観光客がここへ 繰り出し、音楽を奏でたり、芝生に座ったりする光景を見ると、ここが街の発祥 、心の拠り所という雰囲気がある。そういう場所はLAには少ない。たまたま 滞在中に大聖堂で結婚式を挙げるカップルがいた。聖堂から出て、友達や知人 に祝福され、そのままジャクソン広場まで歩き記念撮影。こういう情緒的光景 が見られるのも、LAとは違う。
また、どこへ行っても同じような食べ物しかないアメリカにあって、NOには 独自の食文化がある。もともとフランスの植民地であったことが影響している のかもしれないが、その料理はフランス料理とはかなり違ったもので、一般には クレオール料理、ケイジャン料理として知られている。この二つの料理はどちらか というと高級料理と庶民料理の名称区別として用いられており、本質的には ミシシッピ川やカリブ海の海の幸を材料に使い、それをニンニク唐辛子などの 香辛料をベースに味付けするというものである。代表的な料理はガンボ(オクラ 入りシーフードピリ辛スープ)やジャンバラヤ(パエリヤ風)といったものがある。 あと、海の幸が豊富で生カキが安価で食べられる。12個で7$くらいからある。 大きさは日本のものより、やや小ぶりだが、味はたいへんよい。私達は毎日食べた。 あとナマズも美味しい。LAで食べたのとは(同じ種類のはずなのに)比べられ ないほどうまかった。それから産まれて始めてザリガニを食べた。川蝦で臭いと 思ったが、ちゃんと匂いを押えて茹でてあるので食べられた。味の方だが、これは うまいとかどうとかいう評価ではなく、こういうものを食べたという経験が大切 である....という程度の味であった。だいたい食べられる部分は少ないし、匂い を消すための香料がきついので、蝦そのものの味を楽しむということはできない。 というような具合で、ここでは米や魚がメインの食材であり、私達にも馴染み安い。 あと、名物のベニエという菓子がある。小麦粉ベースの粉を薄く伸ばして適当に 切って生八ツ橋サイズにして、これを油で揚げる。それにパウダーシュガーをかけて 食べる。Cafe Du Mondeという1800年台から創業をしているカフェの名物 菓子で、上品な味をしており、なかなかよかった。甘いと言えばひたすら甘いアメリカ の菓子とは一線を画しており、ここにもフランス起源の何者かを伺うことができる。
そしてNOといえばジャズであろう。ルイアームストロングを始め、アメリカ のジャズの発祥地の一つであり、そして今なおジャズの中心地である。街を歩けば 至る所でジャスの調べを聞くことができる。街角のあちこちで、サックスや トランペットを持った人を見掛けることができるのだが、やはりフレンチクォーター 内にあるBourbon Streetが一番である。ここはジャズクラブがひしめき合う繁華街で 、車が一台ようやくすれ違えそうな細い路地を夕方頃からぷらぷら歩くだけで、窓を 開け放したクラブから、ライブの音楽がながれて来る。繁華街らしく酒の匂いもかな りしていて、ふと新宿の繁華街を思い出させたりしてくれるが、そこに流れる音楽が オヤジのカラオケでないのが素晴らしい。その音楽の中から自分のお気に入りを 選んで、クラブに飛び込めばいつまでもジャズを楽しめる。明日のメジャーを夢見る ジャズマンが夜毎その腕を切磋琢磨させながら奏でられる音楽には絶対的な迫力が あって、こういう所で暮らしていれば当然ジャズのリズムが身体に染みつくに違い なく、ジャズはこの街のBGMなのだと感じずにはいられない。
ジャズのような、この街がフランスともスペインの面影を随所に残しながらも、 それらと違う独自性を与えている決定的要素は、黒人の影響なのだろう。これらの人 々はもともと黒人奴隷として連れて来られ、プランテーションの働き手として養われ、 遂には市民権を勝ち取ったという歴史を持つ。これらの人々のこのエリアにおける 文化的寄与は、建築などの目に見える部分では少ないかもしれないが、むしろ目に 見えない部分〜音楽や街の雰囲気〜に大きな影響を与えているように思えてしかたが ない。勿論、これは私の感慨でしかないが、単なる感慨というには、もう少し実体 ある何かを掴んでいるように思う。地理的そして歴史的条件が都市文化をどのように 特長づけるかを考える上で、ひとつのよいサンプルになっているように思えた。

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