LA徒然草(2月)

2月の記録

メンテナンス (2/2/2001)
先日、我が自宅の シャワーのノズルから、水が洩れだした。最初はちょろちょろと 洩れる程度だったが、時が経つにつれて、その水の勢いが増し、 遂にはシャワールームとトイレを仕切る壁を乗り越えそうになった。 これはまずいので、応急処置としてノズルにタオルを巻き付け、洩れ だした水がタオルをつたって、下に落ちるようにしてその場をしのぐ ことに成功した。
しかし、応急処置をしたとはいえ、水洩れという事態は1ミリも 改善された訳ではないので、根本的な解決を図ろうと、アパート のメンテナンスの人を呼ぶことにした。当初は自分で直そうと思ったが 「水洩れなどの時に自分でいじって、さらに状況が悪くなったら それは居住者の全責任で修理してもらう」などと、壊れやすい品質 のアパートを作っておきながら、もはや居住者に対する脅しのような 文章がアパートの手引書に書いてあることを思いだし、何も手を つけずにとにかくメンテナンスに電話したのである。
「709号の住人だが、うちのシャワーのノズルから水が洩れてます。 不便だから直しに来て下さい」
「その部屋は1ベッドルームか?」
「そうだ」
「わかりました。折をみて、直しにいきます。」
それだけの会話だった。1ベッドルームかどうかを聞くという のは一見不思議に思えるが、このアパートは事態の緊急性に応じて メンテの対応時間を変えるというシステムを取っているので、もし2ベッド ルームだとシャワールームがもう一つあるので、そっちを使えとい うつもりだったのであろう。が、こちらには一つしかないし不便で もあるので、遅くても4、5日の内には来るだろうと、安心して 生活を続けた。
しかし、その予想に反して、それから何の音沙汰もなく一週間が過ぎ てしまったた。その夜のことである。妻がシャワーをしながら、何事かを喋 っている。機嫌良く鼻唄でも歌っているのかなと思い、先にシャワーを済ま せていた私は、それを気にするでもなくベッドに横になっていた。すると、 風呂場から出て来た妻が、なにやら訴えながらやってきたのである。聞くと シャワーのノズルが突然取れて浴槽に落下、ノズルを失ったシャワーからは、 まるで打たせ湯のような勢いでお湯が流れ出たのだと言う。
様子を見に行くと、確かにノズルは外れている。ふと頭によぎったのは この事態の責任を誰が取るのかということである。「こちらはとりあえず、 メンテナンスに一週間前に電話して、不具合の報告とその修理を依頼 したので、向こうの責任になるはずだが、放っておくときっと私のせいにされるに 違いない。明日朝から電話して喧嘩かな?」 などという具合である。しかし、 妻がメンテナンスは呼んで一週間たってもこないし、いつ来るかもわからない。 このままでは明日から不便極まりないので、直してくれと言うので直してみる ことにした。よくみると、ノズルはシャワーの口にねじっていれるようになって おり構造はすごぶる簡単であることがわかった。がネジの噛み会わせ悪くて、 なかなか入らない。頑張ってねじこんで、ようやくノズルをつけることに 成功した。
ためしに水を出してみる。すると、昨日まで、ぴゃーーと飛び出していた 水洩れは嘘のようになくなっているではないか。しかも、これまでにないぐらい ノズルの動きがスムーズで調子がよい。このことから推測するに、この最初に シャワーにノズルをつけるときに適当にねじりこんだだけであったために、もと もとノズルがきちんとはまっておらず、それが使っているうちに、ノズルのネジ がゆるんで水が洩れ、そして最後にはノズルが落下ということになったようだ。
その顛末を近くに住む人と話していると、それくらいではまだまだ序の口であること がわかった。ある人の自宅では突然ディスポーザルが破裂、汚水が洩れだし台所は 水浸しになったそうである。またある人はガス臭いと思って連絡するも、まったく メンテの対応がなく、怒り心頭に達し「このままだと大惨事になりそうだ」と電話 口で語気を荒げて脅すと、すぐに飛んできたという。で、調べるとやはりガスは洩れて おり、ガス会社のおっさんは自分達の対応が遅れたことの詫びなど全くなく、 「このガス管は50年まえのものだからしゃーないわ」と抜かしたという。さらに ある人のアパートでは50年前のコインランドリーがいまなお現役で、洗濯すれども 汚れは落ちず、さらに乾燥すれども乾かずという状態であり、改善を要請しても いっこうに改善される様子もないらしい。いやなら、外に出てコインランドリーを 使えということだろうか。とにかくメンテナンスについては、もとの品質が 粗悪なのに、壊れた時の対応は致命的でもない限り非常にルーズで、にも かかわらず何かが起こったら住人に責任を取らせようとする。全くひどい話だ。
LAに住むと自分で自分のことはなんでも修理できるようにならなければ ならない。人に任せていては何も解決しない。メンテナンスを待って壊れても 自分で直そうとして壊れても、どっちにしても自分達に責任はかかってくる。 それなら、自分でとっとと直す方がよい。
ちなみに我が家のシャワーは、現在たいへん機嫌がよい。そして、メンテに 電話した日から既に2週間が過ぎようとしているが、メンテからは何の音沙汰も ない。今日大学に行こうと部屋を出て一階のロビーにつくと、メンテのおっさん が、暢気にロビーの掃除をしていた。彼らにとっては住人の水まわりのトラブル よりロビーの掃除の方が緊急性が高いようである。
COSTCO (2/5/2001)
私達の住むWestwoodはLAの中でも比較的バス網が 発達しているので、日本食材も含め日常生活の買物にはあまり 困らないのだが、やはり米などを買うと荷物が重たくなるし、 また郊外型の大型量販店ではないので、値段がそれほど安いという わけでもはない。(勿論日本に比べたら食料品などは安いが) それにアメリカの買物の真髄は車で一週間分の買いだしをするために 郊外のそういった店に行き一週間分の買物を済ませることである。 しかし、我々にとって、わざわざレンタカーを借りてまで、そういうところに 行くのは、逆にコスト高になるので、これまで、そういう大型店には行く機会 がなかった。
それが、偶然同じアパートに住む日本の方と知り合い、 今日その方のご厚意によって、車に乗せてもらい、ある大型量販店 に行くことができた。その名も「COSTCO」。会員制を(年会費43ドル) 取っている。店の前には巨大な駐車場。1000台ぐらいは止まれる だろうか。(立体ではないところがミソ) その一つのスペースに 車を止めて歩く。歩いて向かう先にある店はとにかくでかい。 幕張メッセに来たかのような錯覚を覚える。(というか幕張に この店は進出しているらしい)
物を売ると言うのは要するに商品をおいて、それを買う客がいて 売る人がいれば、それでよく、後は雨しのぎに屋根があればなおよい。 値段を安くしたければ、大量に仕入れてまとめて売れば良い。それだけの シンプルなアイデアをを形にした感じの店である。子供が5人ぐらい運べそうな 巨大なショッピングカートを押し店内に入ると、がらんとした空間に 鉄骨で作った巨大な棚を配置し、そこに商品を箱ごと並べただけである。 店内における荷物の運搬はすべて問屋によくある運搬車である。見上げる棚の 高さは10メートルはあり、一番上の商品はいったいどうやって取り出すの だろうかと思うが、そういう心配はしなくてもよいらしい。(ほとんどが 下に並んでいる商品のストックらしいので) トイレットペーパーは24 ロールが、牛乳は2ガロン)6リットル、水は32本のペットが、最低 サイズである。とにかく物が溢れている。人も月曜日なのに多い。(週末 はもっと多いそうだ)そして値段もかなり安い。 我々も多くの買い貯めをした。
アメリカは大量消費社会というが、ここへくればその全てが実感として わかる。私がここで思わず「そりゃ戦争負けるわ」とつぶやいてしまった。 アメリカ人にとって物がなくなるなどということは、もうほとんど神様の存在 以上に想像できない事象のように思える。こういうところに毎月でも来ていたら そりゃものを無駄に使ってもいいと考える人も多かろう。あるUCLAの学生 は「Wasteful is better, I think it's strange, but I can't unconsciously change the idea」と、軽快に語った。今、カリフォルニアはいつ電気が 止まってもおかしくない、いわば「電気ショック」状態にあるのに、相変わらず 電気を使う。惜しみなく使う。我慢のかけらなど微塵も感じられない。 石油ショックでトイレットペーパーを買いに走ったり、省エネを推進した 日本とは根本的に物の消費感が違う。アメリカでのゴミのリサイクルはもう 不可能なことだと思った。
LAに来て東京や大阪にあるテーマパークの「本物?」をみるより この店に来て、ぐるりと一周するほうがアメリカの「本物」を見たと 言うことになるように思われる。マジでJTBかどっかでツアーを組んでは どうだろうか。
貧乏人宣言 (2/9/2001)
アメリカの公共料金というのはべらぼうに安い。ガスはいくら使っても 月に1000円を越えることはない。電気も散々使っても、月に 4000円もいけば足りる。電話も半径12マイル以内は基本料金 1900円程で電話したい放題。バスは何処まで乗っても50円から 160円である。消費税は8%(LA)だが、食料品には課税されない。
このようなシステムになっているのは、アメリカでは憲法が「生きる権利」 を保証しているので、これら生活に必要と考えられているものについては、 その値段を押えるようになっていることによる。以前、電気危機の話の時に、 卸価格が上がっているのに、小売価格が上げられないのは州政府の価格制 御のためだ書いたが、これは、こういう思想に基づいて行われている。
日本の公共料金システムと比べると羨ましい限りだが、アメリカの貧困 と言うのは、おおよそ先進国という言葉からは程遠いものがあるために、日本では そんなに高い料金でも多くの人は払えるような仕組みになっているが、アメリカ では本当に払えない人も出てくるのである。その証拠にこんなに安い電話代や電 気代であるにもかかわらず、本人が「私は貧乏人である」と宣言すれば、さらに 基本料金などが格安になる制度があるらしい。これは、実際に電話でこの制度を 利用している日本人から聞いたものである。通常の料金の3分の1ぐらいで いいらしい。詳しい内容は聞かなかったが、おそらく安い料金で提供される 代わりに使用量などには制限がかかるものと思われる。自分で自分を貧乏人と 宣言するのは何ともいえず、できれば避けたいところだが、そうでもしないと 実際に救われない人がいるのも事実のようである。 (その日本人がなぜ、そういうことが可能になったかというと、その人が学生 で一定の収入がないと見なされたからであり、日本からの仕送りは事実上の収入 となっていることはわからないからだそうだ。)
アメリカでは貧困は社会の責任よりも、個人の責任と考える人が多く、 事実人一倍努力すれば貧困から脱出できる可能性もかなりあるので、高コストな 公的な救済システムを作ることには根強い反対論があるようだ。公的医療保険制 度がアメリカで行われないのもこういうところによるのだろう。貧乏人は医者に すらかかれない国なのである。そういう国において、憲法の保証する「生きる 権利」を保証するためには、そういう貧乏人宣言制度も必要なのかと思ったり もする。
車社会 (2/13/2001)
LAは車社会である。そんな当り前のことをネタに何を書くかと いうと、「LAは思う程大都市ではない」ということを書きたい。 予め断っておくが、改めて考えて見ると都市という言葉の定義 は全く曖昧である。人口が多ければ都市か、産業が発達していれば 都市なのか、あるいは...また西洋型の都市を都市というかといえば それも怪しい。おそらく、理性的に考えれば、様々な意味で都市と言うのは 語りうるし、一つの都市の姿と言うのはやはり歴史や地理的条件から、 それぞれが独自の顔を持っている筈なので、一意的な定義などとは無縁だろう。 一時はそういう都市の発展というものを一意的に考え、都市の(表面的な) 画一を目指す事が都市化と考えるような時代もあったかもしれないが、 少なくとも今では、現代という時代が提供する快適さと過去の遺産をいかに 調和させて街を作って行くかを考えることが大切なのだろう。 そういうことを考えるのは楽しい事ではあろうが、今回はそういう話はさて おいて、これから書く話の中では車社会と都市という観点から考えたい。
そんなことを考えるきっかけになったのは、先日こちらで知り合った 人達と一緒にエルトンジョンとビリージョエルのジョイントコンサートに 出かけたことであった。コンサートはLAの中部Inglewood市にあるGolden Western Forumという会場(昔のLakersのホームグラウンド)で行われた。 コンサートそのものはよかった、楽しかった。私は洋楽通ではないので 全ての曲を知っていた訳ではないが、それでも有名な二人と言うこともあって 知っている歌も多かった。特にMy Lifeをみんなで歌ったのはいい思い出に なった。日本でこれだけのコンサートをわずか5000円たらずで見るのは 不可能だろうし、やはり英語を母国語にする人々が観客だと歌手と観客のノリ も(もともとこっちの人はノリがいい?)自然に高まるというものである。 8時にはじまりアンコールが終わった時には12時というロングコンサート であった。
で、会場までは勿論車で行った。知人二人と我々夫婦が一台のトヨタ エコーに乗り込んで行った。WestwoodからInglewoodまでは普通にフリーウェイで 飛ばせば45分弱で到着する場所なので、WestwoodのCalifornia Pizza Kitchen で軽く食事をして、6時30分ごろに出発した。最初フリーウェイは交通量は 多いながらも順調だったのだが、会場の最寄りの出口に近付くと車が並びだした。 この出口から会場まではまだ数キロは離れているが、この車は皆コンサートへ 向かう車なのだろうか。まさか、そんなことはなかろう、単に自然渋滞しているだけ に違いないと、希望的要素の大きな推測をしてみたが、事実は希望とは反対の もので、これらの車のほとんどがコンサート会場へ向かって行った。出口を出てから 30分トロトロと会場まで進み、そして車3000台は入ろうかという大きなスペース に(立体ではない。)入れられた。かつ、もうコンサートは始まる時間帯なので会場 に近い駐車スペースはいっぱいであるために、我々はその駐車場の一番端、もう会場 が一つの風景と化してしまうほどの所に車を止める事となったのである。会場まで 歩いて10分弱。
フリーウェイを降りて駐車場に入れるまでの車中、車が列を成してコンサートに 遅れる程の渋滞に巻き込まれる様や、そんなに狭い中を走り抜ける何台ものリムジン 、そして割り込みに苛ついてクラクションを鳴らす車などを目のあたりにしていると、 これがNYとか東京だと地下鉄でぱっと降りて入れるのだろうなぁと思った。 これだけの会場へアクセスする手段が車しかなく、また健気にも(イライラ しながら)車で会場へ入っていく姿は少しみじめに感じたわけである。 モータリゼーションというのは確かに現代の快適さを象徴する事象である。 その力で街が便利になることはある意味で都市化だろう。しかし、 必ずしも、それは都市を都市たらしめる要因ではないような気がした。 確かに東京の電車のラッシュは全く狂気の沙汰ではあるが、気楽にどこでも 行ける公共交通があるというのは便利なことだと思う。LAではまともな 公共交通期間といえばバスしかなく、バスは車である以上、運行が 正確である訳ではない。もはや車なしでは生活できないという姿は日本では 都市の姿ではなく、まさに田舎の姿である。LAには車で行けば、いろいろな 最新の施設があるというが、それが車で30分から1時間というなら、 それは奈良盆地の真中に住んで大阪に出る感覚とあまり変わらないように 思える。(いや、まだ奈良の方がここよりは便利だ。) ただ、土地がやたらに 広くて、そこに多くの人が多く住み、一人一台という割合で車を所有し、 飯を食うにも、買物をするにも車で出かける、そして渋滞に巻き込まれ、いらいら しながら生活する、というのは便利なのか便利でないのかさっぱりわからない。 LAに住んでいる人は、そんなものだと思っているかもしれない。しかし、日本か ら見るLAというのは大都市のような感じがするが、実は「おおいなる田舎」なの であることに気が付かされる。
ちなみに名古屋とLAは姉妹都市だそうだが、妙に納得してしまうところがある ではないか。
交通事故その1 (2/24/2001)
交通事故に遭った。
友人の車に妻と妻の姉と乗り込みWestwoodを 出発したのが朝の10時頃だった。目的地はLA郊外ファクトリーアウトレット 、ここから一時間半の距離である。途中チャイナタウンで飲茶を食べ、お腹も いっぱいで、皆たいへん調子がよかった。我々の気分とは全く逆に、外は雨がしとし と降っていた。フリーウェイを走って20分、カープールレーンを走っている時 のことだった。車の時速は100キロぐらいだったろうか。カープールレーンが 本線から外れているところがあり、すこし左へカーブしているところにさしかかった。 特になんの変哲もないカーブであった。
確かに運転している友人が道のカーブを誤ったのは事実である。 また雨でウエットな路面、車も古い車であったこともあった。が、 突然に車がスリップを開始しようとは思ってもみなかった。 (油が路面に浮いていたのかもしれない。) スリップを開始してから 止まるまでのことは、よく覚えている。まず左へ振れた。運転手が 体勢を立て直そうとし、すぐに右へ振れる。この時点で車は体勢を 立て直したように見えたが、結局スリップはとまらず(この時点で タイヤがパンクしたようである。)コントロールもできなくなり、 右へ2回転。そして、車の右後方がガードレールに激突して、 その反動で左に振れ今度は右前方がガードレールに激突。この時点で スピードは完全に死んでいて、あとは反動で左に回転。結局、道を塞ぐ 形で車が止まった。 車が止まった後、まず前を横を見る。運転手は大丈夫。それから後ろ を見る。後ろの二人もとくに外傷などもなさそう。声をかけてみたが 特に頭を打つなどの様子もなかった。車は白い煙を上げており危険 だったことと、後続車の追突が恐かったのですぐに全員降りた。 本来は車を道から移動させるべきだったが、車の煙が気になり、また そんなことをしていて後続車に当たられては助かった意味もないので、 それはしなかった。携帯電話で運転手は警察と救急に連絡。私は フリーウェイでの事故ということもあって、二人の女性をフリーウェイ 横の安全地帯へ連れ出した。
まず警察がやってきた。救急車を呼ぶかと聞く。特に緊急を 要する状況でもなかったが、お願いした。それから車のレッカーが 来た。我々はパトカーに乗って、フリーウェイを出て、近くの モールで事情聴取。事故の状況を説明した。そこへ救急車が来て 我々の問診が始まった。救急隊員の指示通りに、目を動かしたり、 手を動かしたり、事故後意識不明になったかどうかなどが聞かれ、 その結果救急病院には搬送されず自分達で病院に行けば良いとい うことになる。日本で起こった事故なら、有無を言わせず救急車だ がアメリカでは救急車での搬送にもお金がかかるので、よっぽどの ことがないと救急車は運ばないのだろうか。いずれにしても救急車 でわけのわからない病院に搬送されてあとで支払いでもめるのは御免 だったので、自分達で私の保険が効くUCLA近辺の病院に行く事 にした。(そう判断できる程、我々の怪我は軽傷だったということだが。) 救急車が去った後、車の実況検分が始まった。後で保険との交渉をす るためなのだが、車の様子を写真に収めていると、車が完全に大破し ていることがわかる。よくまあこれだけの事故で軽い怪我ですんだもの だと思ってしまった。
これほどの高速走行中の事故でありながら、後続車もなく、スリップ で回転している間にスピードが落ち、また本線から外れているカープール レーンが少し登り坂になっていたこともあって、ガードレールに当たる時に はほとんどスピードが出ていなかったために、骨折や意識不明などの症状 もなかったのは奇跡に近いと思った。また、遵法速度での高速走行であった にもかかわらず、降り始めた雨と4人満載の車、それに少しのカーブ。 条件が重なると車はスリップするのだという、あたりまえの事実だが おそろしいことである。
警察が去り、レッカーも去り、4人はフリーウェイの出口に残された。 警察が近くまで運んでくれるのかと思っていたが、そんなことを期待するのは アメリカでは意味がない。お金を持っているかと聞かれて、あると答えれば じゃあタクシーで帰れということである。残された4人はタクシーを呼ぶこと にして電話帳を調べる。が、このエリアはメキシコ人が多い事もあって、 ほとんどのタクシーサービスがスペイン語しか通じず困る。ようやく英語の タクシーを呼ぶ。待つ事40分。(一体どこから車がまわされたのだろう?) 事故後に乗るには、あまりにも不安を感じさせるようなぼろいタクシーが やってきた。運転手はもう60をはるかに越えたであろうかと思える程の 老人。乗るとメーターが壊れているという。これはもしやボッタクリタクシーか と思ったが、本当にメーターは壊れていた。最初に運賃の交渉をして目的地 まで帰った。車中で、とりあえず病院に行こうということになるが、不運にも 今日は休日で日系の病院は開いていない。近くの救急と言えばUCLAの メディカルしかないが、とりあえず交通事故のことなので、診断してもらう のが重要という結論となり、我々はUCLAのEmergencyに行くことにした。
つづく
交通事故その2 (2/24/2001)
一旦アパートに帰り、これからの対策を話し合う。まず今回の事故 に関しては友人の入っている搭乗者保険で基本的に賄うことになる。が 事故後すぐに、その保険屋の緊急コール電話したが、休日にて休みという 有り様であった。彼らにはEmergencyの意味が分かっていないものと 見える。いずれにせよ事故の証明を貰っているから払ってもらえることは 間違いない。次にとりあえず日本のカード会社のヘルプラインなどに電話 をする。こういう時ゴールド会員になっておくと海外旅行保険が自動で付 いて来るので安心だ。まず、病院の医療費の負担について相談すると、 基本的に自動車の保険でカバーしきれない分を支払うと言うことになった。 私は健康保険に加入しているし、最悪の場合はそれで治療すれば良い。 話はそれるが、なんというか、今回は軽度の怪我だったので、こういう お金のことを考える余裕があったが、これが骨折などの緊急の事故の場合 はどうなるのだろうか。 保険に入っているといっても、その保険でカバーされないということは ありうる。そういう場合は高い治療費は自己負担となり、これでは 泣くになけない。この国では2重3重の安心をかけておかないと おちおち事故もしていられない。
とにかく、今回の場合、お金のことは安心だったので、UCLAの病院に 行くことにした。本来は日系の病院へ行くのがベストである。という のもこまごましした病状を英語で伝えるのは困難で事故後の保険屋と の交渉にも影響をしかねないからである。が、今日は休日であるという ことで日系の病院は全て休み、言葉の問題より事故後の治療診断書の 方が大切であるということで、UCLAの病院に決定したわけである。
病院には歩いて行った。救急病院に歩いて行くのは始めての 経験で、すぐに入口が見つからなかった。病院内をさんざん歩き回ると地下の駐車場に 出た。そして、小さな入口を見付けた、そこに小さくEmergencyとある。 救急車で運ばれて来るという想定で作られた構造である。中に入ると 混んでいた。ここから経験したことはアメリカならではであった。 まず、小さな部屋に通され、血圧、体温、簡単な問診を受ける。それが 済むと今度は本当の受付が始まる。名前や年齢などを聞かれる。それから 保険の有無などを聞かれる。保険がなければ、自分で支払うのかという ことも聞かれる。私達夫妻はアメリカの保険に入っているのでそれでよかったが 義理の姉は旅行者なので保険はない。友人が自動車保険で支払うというと それは受け付けないという。誰が払うかという責任の問題を明らかに するのは、自動車保険ではなく健康保険であるということであろうか。とにかく 治療費の請求書を自動車保険を持っている友人に回すことで話しは 決着した。その時に患者の認識票を手首に巻かれる。患者の取り違えを 防止するためであろう。
待合室で待っているように言われる。救急とはいえ、待合室に いる患者のほとんどは救急性のない人であるのだろう、中はいわば休日 病院の感じである。我々は軽い打撲と鞭打ちの症状があるもののの 歩いて来たぐらいなので、それほど待つ事は苦にならないが、横に いる患者は見るからに死にそうな顔をしている。看護婦の妻の見立て によれば、ちょっとやばそうということらしいが、彼女は緊急度 が低いと判断されたのかずっと待っている。我々の横にいる男性は 頭を抱えたままぴくりとも動かない。待ち続けること3時間で、我々は ようやく治療室に通されたのである。救急では緊急度に応じておそらく 治療時間も変わるのだと思うが3時間というのはあまりにもひどいと 思った。以前呼んだDaily Bruinの記事ではアメリカの救急病院は どこも経営を成立させるために人員を削減しており、その中で 治療をせざるをえないために軽度の患者の治療を断ったり、後回し にして5、6時間待たせるのは常識となっているということだった。 経費削減は結構だが、この状況はちょっといただけない。我々は 本当に軽傷だったので、この状況に怒りを感じているだけで十分 だが、それが原因で病気が悪化したら洒落にもならない。
診察室に通される。が、すぐに医者が来る訳ではない。 とりあえず全員服を脱いで患者用の服に着替えるようにいわれた。 それから10分ぐらいして、女性の医師がやって来た。問診と 触診が行われた。私と義理の姉は打撲。妻は鞭打ちではないかと いうことだった。これで終わりではない。彼女は確定診断をしない。 それから待つ事30分以上。今度は老齢の医師がやって来て、 同じような医療行為をして、その医師が最終診断確定を行った。 普通日本なら、とにかくX線となるところだが鞭打ちの兆候が ない私と姉は撮ってもらえなかった。医療費を押える事が目的 なのだろう。おそらく、目だって必要性のない患者にX線写真を 撮っても、後で保険会社がお金を支払わないということを彼らは 知っているのだろう。(話しによると彼らの間には厳密な医療行為 の規定があって、こういう症状の場合は、こういう治療行為には お金を払うが、それ以上の余計な医療にはお金をはらわないという 取り決めがあるらしい。日本では過剰医療が問題になっているが、 アメリカでは一人の医師の判断によって、受けられない検査も あるということである。) X線写真を撮ったのは結局私の妻だけ であった。歩く事ができるのに、ストレッチャーに乗せられて X線室に連れて行かれる妻を見送り(これは過剰医療ではないのか?) また1時間程待たされた。とにかく気の長いEmergencyである。
妻を待っている間、隣ではクリティカルな救急医療が 行われていた。さすがに、こうした患者には救急治療が きちんと施されているのには安心したが、この治療を受ける までに多くのハードルがあるというのが正直な感想であった。 アメリカのカード会社のコマーシャルなのだが、救急搬送された 血だらけ患者が胸からカードを取り出し、絶え絶えの息で このカードでの支払いを要求する。この時点で治療は開始され ていない。そのカードが通される。まだ治療は開始されていない。 医師は治療道具を片手にカードリーダーを見守る。そして数秒後 カードがApproveされると、治療を開始するというものがあった。 カードが使えなければ治療しないということか、笑えない話だが 本当に笑えないと言うのが笑えない。
ようやく妻が帰って来て、それからまた30分待った。その間 また違う医師が、妻を除く軽傷の3人に診断書を持って やってきた。You can go home. という結果とともにコマかい 診断内容を説明してくれた。 それからしばらくして妻にも帰宅の 許可が降りた。骨にも以上はなく、治療は時間がしてくれるとの こと。
いくらの治療費がかかるのかしらないが、とにかく病院に 行ってから出て来るまでに堂々の5時間30分。とんだ救急治療 体験であった。
California Adventure (2/24/2001)
前述したように我々は、交通事故にあったのだが、その後、特に大きな 後遺症もなさそうであり、またせっかく義理の姉がLAに遊びに来ているので 、アパートでじっとしているわけにもいかない。そこで、我々はDisneyの カリフォルニアアドベンチャーに行くことにした。このテーマパークは 今年の2月8日にオープンしたばかりであり、日本でもアメリカでも 宣伝が大きくうたれている。遊んだ感想は「カリフォルニア州の テーマパーク」といった感じであった。入口に入るとゴールデン ブリッジがあり、園内にはビーチボーイズの音楽が流れている。 いかにもカリフォルニア!という演出である。
最初に乗るべきはSoarin' Californiaであろう。半球状のスクリーン が前面にあり、そこへ我々を乗せたカートがせり出す。その結果、 自分の上も下もスクリーンにるので、臨場感が増すという設計だ。 画面に映し出される内容はカリフォルニア州の名所、Golden Gate Bridge, Yosemite公園,Montray park, Napaの景色、Malibuの海岸 LAの夜景、そして最後はDisney Landである。最初に雲の中を抜け てから最後までほんとうにすばらしい体験であった。結局この日、 二回乗ったが、この施設は一時間でも二時間でも乗っていて飽きない。 海を走るときは海の香りが、果樹園を抜ける時は果樹の香りがする、 そしてあの、なんとも言えない加速感、浮遊感はいいようがない。 オススメ度No.1である。(勿論行列も一番長い。)
次にGrizly River Runというアトラクションである。急流下り である。結構濡れるがなかなか楽しい。濡れるのがいやなら、隣 の店でポンチョを買えるようになっているのが商売上手である。 丸いラフティングのボートのようになっていて、高低差を楽しむだけで なく、思いがけない回転があるのが結構面白い。一台のボートに 6人乗れるので、人は結構捌けるので待ち行列も少ない。
後は3D眼鏡をかけて楽しむIt's tough to be a BugとMuppet 3D が楽しい。よく考え抜かれたエンターテイメントアトラクションだと 思ったが、ストーリーは全て(もちろんだが)英語なので日本人にとって 楽しさは70%である。
アトラクションがたくさんあるディズニーランドとは違い、 大物アトラクションが少ないのが特徴である。基本的にカリフォルニア のテーマパークなので、この州の物産や観光資源を紹介することが 設計のコンセプトである。だから、園内には州の農産物を展示、それから ワインやサワードウ、トルティーヤといった特産の食品の作り方や 歴史、そして試食などのコーナーがある。園内でお酒が飲めるのも ディズニーランドとの大きな違いである。 また、園内には普通の 遊園地のようにジェットコースターなどもあり子供も大人も楽しめる ようになっている。また、ハリウッドの町並みを再現してあり、 映画産業の州でもあることを感じさせてくれる。
個人的にはカリフォルニアの歴史を25分程の映画にまとめた アトラクションがよかった。ゴールドラッシュによって本格的な 歴史をスタートさせたことが暗示するように、この州はアメリカに とっては、一獲千金を求める人々が集まる場所であり、良く言えば ドリームランド、悪く言えば落ちぶれた人々の集まる吹き溜りであると いうことをこの映画は強く感じさせてくれた。小数の成功者と多くの 落伍者を産み続けるのがカリフォルニアであり、それでも人は夢を求め てここにやってくる。「ひょっとしたら自分が成功者になれるのではないか?」 そういう期待を少しでも抱くことが出来ると言う意味では確かにここは ドリームランドであり、そしてそこで成功する事は世界で成功する事に 直結しやすく魅力ある場所である−そういうことをこの映画で実感する事が できるのである。
総合的な感想からいうと、夢の演出を徹底的に追求した Disney Landよりは、どちらかというと泥臭い印象があった。 家族がみんなで楽しめる遊園地という感じだろうか。もちろん園内にディズニー キャラクターを登場させられる強みはあるが、インパクトは それほどでもない。また、今回、結構いろいろなアトラクションが 一時的に止まっていたりして、運用面での不手際が目だった。 これはいずれ解消されるとは思うが、あまりよいことではない。 一回行くのは楽しいがリピーターが付くかといえば、これからの アトラクションの展開の仕方に大きく依存すると思う。おそらく ディズニーランドに来た人は、ついでに必ず入るだろうから 観客が劇的に減ることはないだろうが、必ずしも100%の できではないということを感じた。これから、どのように 盛り上げて行くかはディズニーの腕の見せどころであろう。
今回のCalifornia Adventureの開園と同時にDowntown Disney というショッピングモールができた。二つのテーマパークに挟まれる 形で出来ており、入場料はもちろん不要である。Universal Studioの 前にあるCity Walkをモデルにしているのだろう。この利用価値は 大きい。Disneyグッズをテーマパークの中に入ることなく購入できる し、演出もよくできており十分楽しめる。時間も夜中の12時まで 開いており、治安もよいので家族連れでも安心である。今回の California Adventureの開園により、Disney landと二つを掛持ち して入園する(もちろん入園料は別々に支払う)ことが多くなるので ここアナハイムに一泊する観光客が増えるだろうから、初日に入った テーマパークが閉園した後、ホテルへ帰るまでの数時間をこの Downtownで過ごす可能性も高く、そういう点で商売として、 よく考えられていると思った。
リムジン (2/27/2001)
ラッキーと言うのは思いがけずやってくるもので、リムジンに 乗ることができた。アメリカでは誰でもお金さえ出せばリムジンに 乗れる。一時間80ドルから150ドルぐらい払えば乗せてもらえる。 ただし最低2時間は借りなければならないという制限があったりして、 一回のチャーターでだいたい300から400といった所である。 日本でもたぶんそれくらいだせば乗せてくれるのかも知れないが、 そもそもあんな長い胴体の車で日本の公道を走るなどは意味がない。 というか、そんなものが利用できるなどという情報はないほうが よい。何かを間違えて久宝寺から注文が来ないとも限らない。 八尾市内からリムジンなどということになれば、ほとんど 狂気に近い事態となるに違いない。
もちろん、ラッキーと書いているくらいだから、今回私が リムジンを予約した訳ではない。実はアナハイムのディズニーランド に行くのに往復の交通に日本語タクシーシャトルという違法白タクの 限界にあるサービスを手配した。このサービスでは普通7人乗りの ミニバンが配車される事になっている。確かにアナハイムに行く時は、 そのミニバンに乗り込み、押しの強い日本語ドライバー、その名も 枝子(在米30年)、が展開する観光ガイドという名の人生トークを渋滞の中 聞かされることになり、アメリカに生きる女性の迫力に押しまくられたり していたが、なんの加減かはしらないが、帰りに我々をホテル前に迎えに来たのは 上品な叔父さんが操るリムジンだったのである。
おそらくアナハイム方面にリムジンをチャーターした上客がいたのだろう。 帰りを空車にするよりは有効に車を利用したほうがよいということで、我々に ラッキーが巡って来たもの思われる。元来そういうものに乗り慣れていない我々は 車の前で記念撮影。この時点で既にリムジンの客ではない。さらに車内を覗いて、 喚声を上げるなどは、単なるお上りさんである。さて、リムジンの車内であるが、 一番後ろにあるドアから入るとふつうの車と同様の後部座席がある。そして 右側の長い胴体部分には進行方向左側、横向きにソファーが備え付けられている。 ソファーに座れば足を伸ばしてゆったりと座れる仕組みになっている。勿論 客席と運転席は黒いガラスで完全に仕切られている。テレビやワインを入れる スペースなどもあったが、さすがにワインのサービスやテレビのサービスは受けられ なかった。
珍しい乗物に乗ったと言う昂揚感を除いて、車としての乗り心地だけを 考えると、むちゃくちゃ素晴らしいというほどのものではなかった。...といえば贅沢 だろうか。ヘッドクリアランスがそれほどないのが気になった。最近はハマーの リムジン(そうあのハマーの長いやつ) とかRAV4のリムジンなどという、こちら でいうところの「げてものリムジンカー」もあるというが、どんな車をリムジン タイプにしても走れてしまうと言うアメリカの道路環境の方が凄い。
保険金請求 (2/28/2001)
交通事故から十日あまりが経過した。事故後の怪我の経過は予想 通りで女性二人はまだ肩や背中の打撲が少し残り、念のため通院を続けている 状態。私はほぼ全快のようである。といっても、まだ3人とも今後 どのような不具合が出るかも知れず、やや不安といえば不安である。 何かの不具合があったときに病院に安心してかかるためにも、医療費など の確保は重要である。今回の場合は運転者である友人の加入していた自動車 保険の搭乗者保険から支払われることになっている。その上限額で払いきれ ない分については、これまた友人の住友ゴールドの海外旅行賠償金保険から支払 われる。それでだめなら、自分達の保険。次に私の海外旅行保険と、保険4段構え になっているので、多少の治療代を請求されても安心である。
今回の経験でアメリカの医療保険金システムについて、多少の理解が すすんだ。まず、普通に病院に行った場合、(今回はUCLAのメディカルだけの 経験なので、他の病院の場合は違うプロセスになるかもしれないが、) 前に書いた通り受付で自分の健康保険の番号を聞かれ、その保険で支払われ なかった場合は自分が支払う という旨の書類にサインをする事になる。治療を受けて生じる請求は直接 保険会社に回され、保険の契約内容にしたがって支払いが行われる。私の 保険の支払いは一回の医療行為単位で行われるのではなく、一回の病気が 完治するまでの一連の医療行為単位でお金が支払われる仕組みになっている。 一回の病気につき50ドルの免責金を支払うと、5000ドルまでの治療費は 全額、25000ドルまでは80%負担、それ以上は100%負担という内容 である。免責金は最高250ドルまでで、6回以上病気になると免責金は 払わなくてよい(と解釈している)。 また、保険の加入者は病院に行ったら 初診の日から30日以内に保険会社にClaim Reportをしなければならない。 普通は電話だが、最近は電子メールでもできるようになっている。日本より 報告という分だけ手間だが、支払いはちゃんとしてくれる(はずである)。
さて、今回のような場合、医療費を払うのが自動車保険などの場合は手順が 違う。始めに自動車保険会社に事故のあったこと、さらに医療サービスを 受けた事を報告する。すると、エージェントが事故の調査を始めることに なる。運転手から事情を聞くのは勿論のこと、今度の事故では搭乗者に怪我 があったので、搭乗者からも事情を聞くことになる。そんなこんなで、昨日 保険会社のエージェントが我が家にやってきた。聞き取りの内容はすべて テープに録音される。のちのち裁判沙汰になったときに証拠として提出する ためのものだろう。録音はすべてこちらに確認できる形で操作される。 「これから質問をします。」からはじまり、年齢や住所、氏名、事故時の 自分の状況など、いくつかの質問に答えた後、「以上の質問に何か疑問が ありますか?内容を理解しましたか?」と聞かれ、「あなたはこの調査が 録音されていることを知っていましたか?」となり、「これからテープを 切りますがよろしいですか?」でおしまいとなる。日本だとテープに録音 という行為自体が相互の信頼に溝を作り兼ねないが、ここではそうではない。 事情聴取が終わった後、支払いプロセスについての説明がある。とにかく 最初に治療を受けたUCLA新しい病院で治療を受ける場合は、報告して ほしいということ。保証の内容は医療費だけでなく、今回の事故に関わる あらゆる障害、例えばこの事故で受けた精神的ダメージなどについても 保証額の範囲内で考慮すると言うことであった。また、この保険による お金の支払いは事故後一年の間のみで、それ以後は加害者との交渉で (つまり裁判?)解決して欲しいということであった。
実際に受けた治療費はともかく、精神的被害となると、どうやって それをお金に換算するのか、素人の我々にはわからず、この調査に同席 していた在米6年になる運転手の友人も判断しかねるという有り様。こういう 時、普通アメリカだと自分の弁護士を立てて、その損害をアメリカの司法 が妥当と考える補償金に換算して支払われることになるのだろうが、 わざわざ弁護士を立てる程のことでもないし、治療費さえ払ってもらえれば こちらとしては問題はないわけだから、とりあえず自分達が受けたと思われる 損害、例えば行こうと思って購入していたテーマパークのチケットが無駄に なったとか、タクシーのキャンセル代がいくらかかったとか、湿布などの 薬を買うのにいくらかかったのかとかを請求するということになった。問題の 精神的被害については、「車が恐くなった」とか「せっかくの海外旅行が 台無しになった」とか「頭痛に悩まされて仕事がはかどらなくなった」とか 、当たり屋まがいの請求をすることになるのだろう。当たり屋まがいと書いたが むしろ、アメリカではそういうことを要求するのはあつかましいというよりは むしろ当然の部類に入るようである。
今回の場合は法的に加害者が友人であったし、同じ日本人であるということ からも、そのような要求をした方がいいかどうかは考えるところで、これもまたこの 友人の相談してから請求しようと言うあたりも日本人らしいが、 これが全く見ず知らずの加害者なら、結局は保険会社だけとの交渉になるので、 とれるものはとっておいた方がよいらしいし、弁護士などがいれば確実にそうなる (その方が弁護士が儲かるからだろう)。また、そうなっても、もともと加害者も気 分を害する事はないし、むしろ保険からとれるだけとればいいじゃないか、(だから 自分には、もうこれ以上の責任もないのだ)という考えであるらしい。何事もお金で 解決できるという点は事務的にすっきりしているのかもしれないが、被害者が日本人、 加害者アメリカ人となるような事故だと、こういう加害者側のドライな対応は被害者 である日本人の心証を著しく損ねるものと思われる。で、心証を損ねた結果、例えば 裁判になってもアメリカなら加害者は加害者としての責任を果たしたのだから、問題 はないと判断されることになるのだろう。日本ならもう少し違う形で判断が下るもの と思う。
今回の事故後の保険やら何やらの処理をしていると、今、問題になっている 「えひめ丸」と米潜水艦の衝突事故の解決の難しさが、なんとなく実感としてわかる。 事故後のアメリカ側の誠意がどうとかこうとか言われる日本の記事を目にするが、 アメリカが責任は認めるが事後の処理は事務的に進めるという対応を取るのは 極めてアメリカらしいことである。ただ、日本が実質の保障だけでなく、心情的な 誠意を大切にするということを知っているので、異例にも特使を日本に派遣してい るという点では、彼らも勉強しているように思えるが、実質的には被害者側にどう 受け止められているのかはわからない。ただ、確実に思うのはアメリカ側としては 最大限の対応をとっているということである。アメリカ側が考える最大級の誠意が 日本にとっては、それほどでもないと受け止められると、両国の間の問題解決には 妙なしこりがのこりそうな気がして、人の命に関わる問題で発生した国際問題を解 決する事の難しさが伺い知れる。

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