12月の記録

The Yesman (12/02/2000)
12月の16日に日本へ一時帰国することになっている。 そこで、二人でアメリカのお土産を探しているのだが、アメリカには お土産として持って帰るものがない。アメリカの物は世界中にあるという 構図が成り立つからだろうか。極めてローカル性に乏しい。カリフォルニア ワインやチョコレートは親戚などに配るには適当なものだと思うが、親しい 友人たちに配るにはあまりにも芸がない。San Diegoに行った時もいろいろ 探したが適当なものはみつからなかった。
うーん。困った。もう適当なTシャツでも買って帰ろうかと 思った瞬間、ひらめいた。アメリカにはアメリカンジョークがあるではないか。 適当なパーティグッズ屋を探せば、おもしろいお土産があるに違いない。 そこでWestwoodにあるAashというパーティグッズ屋に行った。ハロウィーン の時は怪しげなコスチュームがショーウィンドウを飾っていたが、今日は クリスマスのコスチューム(特にサンタクロース)飾られている。店の雰囲気 はキディランドのような感じであった。クリスマスカードのコーナーや キャンドルのコーナー、玩具類がある。その一角にお目当ての冗談グッズ があった。
いろいろなものがあるが、特にそそられたのは表題のThe Yesmanであった。 音声反応式のおもちゃで、背広を着たおじさんの形をしている。そのおもちゃに むかって話すと英語で超肯定的なコメントをしてくれる優れ物だ。例えば、 「あー、あの上司はいけてないなぁー」というと「そう、あなたの言うとおり」 などと(勿論英語でだが)答えてくれる。とにかく、落ち込んだ時にこいつに 話し書けると超肯定的な意見を返して来るので元気がでるという仕組みである。 ただ、我々の話の内容を聞いている訳ではないので、思い通りの答えが帰って来る わけではないの注意。「おはよう」と叫んで「偉い!あんたに一生付いて行きます」 といわれたり、「今日の夕飯はパスタにしよう」と叫んで「そんなアイデアなんて 私には思いもつきませんぜ」などと言われても、それは宇宙人トークであるので、 できるだけ自分の心からの叫びをぶつけたほうがよい。が、無意味トークも、また 楽しい。日本でも「おべんちゃら星人」とかなんとか名前をつけて「よっ!大統領」 とか、「すっげー。すっごー、えっらー」とか「すごいなあー、ほんま、すごすぎる」 とか言うようにすれば売れるかもしれない(売れないかもしれない)。さんざん Yesmannに肯定的な意見をもらって、気分を良くして帰ってきた。で、お土産が 見つかったかというと、見付からなかった。世の中はうまくいかないものである。
アメリカでの英会話 (12/03/2000)
UCLAに来て2ヵ月あまりが経過しようとしている。最初の一ヵ月は 環境に慣れるために費されたが、最近は生活も安定しいろいろ情報を集める ことができるようになった。妻の方も、ようやく買物などが一人で行けるように なり、日本人の友達などもできたようで、こちらも少しずつ環境に馴染んで いるようである。といっても彼女は英語ができないので、毎日が格闘の日々で ある。プレッシャーはきっと私よりも大きいと思う。その彼女も月曜日は 近所でエアロビ、水曜日の午前中は無料の英会話教室、そして来月からは Adult Schoolで英語をちゃんと習おうかと計画しており、受身の生活から 能動的な生活に変わりつつある。私もその水曜日の英会話を受け、1月からは English Conversation Program(無料)に参加し、できればEnglish Writing Program(有料)に参加しようかと考えている。とにかく住んでわかったのは、 英語を話し聞くというのは「シチュエーション」と「リズム」であること だということである。
要するに我々が普段日本にいてもしていることだが、会話と言うのは 決して、文法の規約通りなされるものではない。その会話が成立する状況 つまりシチュエーションによって、会話の先をある程度(意識的にせよ 無意識的にせよ)想像している。 だから、単語レベルの会話でも十分に 通じる。例えば、ファーストフード店に行く。すると必ず "For Here, or To go"と聞かれる。聞かれる事を知っていればなんということは ないのだが、しらないと「フォヒツゥゴ」というような言葉としか 聞こえないので、何を言っているのかわからない。また、スーパーで 買物などをしてレジで清算を始めると「Bag, or Plastic」と聞かれる。 最初はなんのことかわからないし、わからないから聞き取れない。良く 聞くと買ったものをつめる袋は紙製の袋かビニール袋かと聞いていることが わかる。わかると、適当な発音をしてもわかるようになる。このように 生活の中には「慣れ」による英会話上達という面があり、これは日本に いては絶対にわからないし、日本でいくら英語を話してもお目にかからない 以上聞き取れない。
もう一つは、会話と言うのはリズムであるということである。 私達が日本語を話す時も勿論やっていることだが、こまかい助詞や 主語などの省略あるいは短縮発音は、無意識にその意味内容によって 補っているように、日常英会話でもそういうことがある。特にLAでは リズムやイントネーションで物を話す。例えばI'll be backはどう聞い てもアビバとしか聞こえない。聞こえないが、慣れるとわかるし、逆に 相手に言う時も正しい英文法をゆっくり話すよりも通じたりする。特に イントネーションは大切である。言葉はリズムという基本原理にのれば 言葉を理解するのはまさにイントネーションによるからである。いくら ただしい英語の文法に乗っていてもイントネーションを間違うとほとんど 理解してもらえない。例えば車のCorollaはカローラではないので、いく ら日本語でカローラと言っても通じない。イントネーションは やはり英語を習う時から正しく学んでおかないといけないので、日本の ように日本人の英語を聞きながらの教育を受けると、後で苦労することに なる。(私もその一人だが。)
これはアメリカ英語というものの特徴のような気がする。 イギリスに言ってこれほどまでに崩れた英語というのは聞いた事がない。 ある先生に聞いたのだが、以前イギリスのある著明な教授がNYで 講演した時に、講演終了後の質疑応答の際に、あるアメリカ人教授が その教授にむかって Say it againと言ったそうである。で、 リズムとシチュエーション英語なので、発音は「セタゲン」としか 聞こえなかったそうである。そのイギリスの教授はPardon?と何度も 聞き直したそうである。イギリス人はその後、「あんな英語は英語では ない。失礼でbrokenでとんでもない。」と憤慨されたらしい。そもそも 命令形を講演者に使うのは失礼だし、本来ならCoulf you 〜と丁寧に 聞くべきだろうし(質問者が質問をする時には、そういう出だしで語り だすものと、イギリス教授はこの状況では仮定している)、正しい発音を しているわけでもないので英国のエリート教授にはかなり聞き取りにくかった に違いない。個人的にはこのbroken具合は他民族国家アメリカの特徴だと 思う。あまりにも英語を母国語としない人々が数多く住んでいるため、正しい 英語の文法を維持することが難しく、結局意志の疎通が測れるかが問題と なって、このようにリズムとシチュエーションを基礎にした会話世界が 成立したのだと思う。
日本の英語教育はお行儀の良い正しい英文法に基づくもので、かつ 日本人教師のterribleなリズム英語の中で育つので、アメリカで英会話が うまくいかなくてもそれは当然だと思う。アメリカ人のリズム会話を 聞き取ることもままならず、 それに加えて、英語を誤って使うことから から来る脅迫観念が邪魔をしてますます英語が話せなくなるというのは 最悪のシナリオである。日本語の発音体系と英語の発音体系の違いと いうものを考えると、日本人が英語を話すと言うのはやはり大変なこと なのだと思う。
なんちゃって留学生 (12/05/2000)
LAには日本人が多い。 妻は毎週月曜日に近くのWestwood Parkで 開かれているエアロビ教室に行っているが、インストラクターが日本人と いうこともあってか、多くの生徒も日本人である。彼女はそこに通う 人々から生活に必要な情報を集めているようである。そのうちの 一人の生徒は全くの御近所さんで、先日その家族と一緒に食事までした。 また、最初は全く偶然に知合いながら、なんだか妙に親近感があったので、 詳しく聞くと降旗さんの後輩で、かつ大浦さんの同期であることが判明 したUCLAの田中さんとも懇意にしている。妻はこの前ネットで 知り合ったアメリカ人の妻をしている日本人の女性とランチを食べに 行った。このように、知らず知らずのうちに日本人の知合いが増えた。
これらの人の多くは大学関係者あるいは大学で働いている旦那についてきた 人々である。また、こちらには少ないがトーランスやパサデナには日本の 企業などの支店が多いので、海外赴任している日本人夫婦がおおい。実際に トーランス辺りにはリトル東京などよりも巨大な日本人コミュニティが あるようで、ほとんどの生活を日本語で済ませることができる。(だから、 ここで生活するとほとんど英語が上達しないらしいが) その点Westwood 近辺は日本語は全く通じないので英語を学ぶにはいいところであるのだが、 それでも、車で10分ところにあるソーテルというエリアには小さな日本人 コミュネティがあって、そこに行けば日本の食材がなんでも手に入るし、 周りにある店はみな日本語が通じる。日本語のオアシスという感じである。 こういうコミュニティが成立するくらいに日本人がいるのである。私は ともかく、英語が苦手な妻に取っては、これくらい心強いことはないし、 妻の安心はひいては私の安心であるので、その恩恵は測り知れない。
そのような日本人社会にある種の人々がいる。それが「なんちゃって 留学生」と呼ばれる人々である。この命名者は誰なのかは知らない。私は 田中さんから聞いた。定義は、要するに日本の教育システムに馴染めず、 ただなんとなく逃げの理由を求めてアメリカに自称語学留学してきた 人達を指すらしい。要するに冗談でアメリカに来てしまった人を指す。 まあ、確かに日本でうまくいかずに、こちらに単身 乗り込んで来ようとするからには、英語の勉強をするとか、何かそういう モチベーションは最初はあったのだと思う。しかしながら、こちらで 英語を学ぶと言うのは日本でそれをするよりもかなり高度な学習が要求 される。こちらの「初心者」というレベルは、日本人からすると、かなり の上級者を指すことが多く、結局日本で英語ができなくてアメリカに 来ても英語が上達する筈もなく、それでも頑張って学校に通える人は いいが、多くは途中で挫折してしまって、帰るに帰れず、結局のところ 周りには日本語が通じる世界があるために、そこにハマリ混んでしまう のである。
私達はそういう人達が集まると言う日本人コミュニティから離れて 住んでいるので、そのような具体例を知っている訳ではないし、会う訳でも ない。UCLAに来ている人達はある程度能力があってこちらへ来ている。 (すくなくともTOEFULの成績はある程度必要。)そのために、よく学問 に励んでいるという印象を持つが。そういう世界に行くと結構いるのだと LA歴の長い人から聞いている。確かにそういう人らしき人に会わないこと もない。ソーテルなどに行くと、頭を真っ赤に染めたニーちゃんと厚底靴 を履いたネーちゃんが、もはや日本語の勉強をもう一回した方がよいと 思える程ひどい日本語の会話を交わしながら歩いて行く姿をよく見掛ける。 髪型や恰好で判断するのはよくないが、なんとなくそんな感じかと思ったり している。別にそういう事例を知りたいとも思わないし、おつきあいしたい とも思わないので、詳しく調べたことはない。
しかし、実際にそのような人はいると、言う。アメリカ 特にLAというと、何か開放的だし(確かに天候はよい)、日本で背負っていた 様々な人間関係や社会的評価などを気にしなくてもよくなる。そういう所に 飛び出してくれば、何か新しい世界が、そして自分が開けるような錯覚に 陥るのも無理はない。しかしながら、アメリカは日本にもまして、個人の 力が試される国だし、逆に日本のような社会的なバックグラウンドがない からこそ、自分が頑張らなければ、何もよくはならない。そのことを考えて 来なければアメリカは日本ほど住みやすい国でもないように思う。
といっても、そんなことがわかっている人なら安易にアメリカに 渡ってなどこないだろうから、こういう人々は今後もLAに吸い込まれ続ける に違いない。
大統領選挙の行方 その3 (12/09/2000)
フロリダでの集計作業のやり直しを裁判所が支持した。 これで大統領の選挙はますます泥沼になってきた。司法の判断は正しかった のだろうか? 政治的な空白が国内を混乱させ、結果としてアメリカの経済 に打撃を与えるかも知れないから、もう止めようという考えで司法が判断を 下すのは、それは三権独立をもってその基本とする憲法に反するので理に 適っているといえよう。それはわかる。が、これが日本ならどうだろうか? 憲法の理念を厳密に解釈せず、拡大に解釈して、国民の良識と常識に照らし会わせた 判決が出るものと思われるので、多分ゴア側にあたる陣営の敗訴となるような 気がする。
一方でこの判決には怪しい噂がある。今回の判決については、 判事7名のうち6名までが民主党支持者だったとか。それが今回のゴア有利 の判決に影響したとかしないとか。その真偽はひとまずおくとして、この ような噂が出るあたりが、アメリカらしい。というのは、そういう個人的な 考えが国政を左右する重要な裁判で大きな影響力を持ち売ると考えている からである。実際には、憲法の遵守と個人の意見の尊重−この二つの立場が 見事にマッチングして様々な相互作用を及ぼしあって、出された結論だと 私は感じる。さきほど、日本なら このような判決が出ないのではないかと書いたが、それはある程度国民の センサスが一つの方向に向いていることが感じとれるからだと思う。アメリカ にはそういう一つのセンサスを期待するのが難しい。共通文化を持たない 自由な個人とその行動を緩くしばる憲法という図式では、一つの全体的な 雰囲気を読みとることはできない。つかんだと思ったら、それとは全く 正反対の意見が出るからである。そう考えると、今回の判決はアメリカでは 至極当然なのかもしれない。個人的にはそのような問題を扱う判事の選定には 細心の注意を払うべきだと思うが、今回はゴアさんに有利な巡りとなったが、 実はフロリダの州知事はブッシュさんの実弟であり、これが選挙の開票の 信頼性に疑問が出る一因にもなっていることも忘れてはならない。
文化というのはその国の一種の共同感覚である。 それは、その国の長い歴史の中で、まだ法律などがきっちりと概念化 されていない時代から、その土地に住む人々たちが円滑に生活を営むために、 時には争い、時には話し合い、徐々に形成されてきたものである。 この獲得された共通感覚は、その国にその後生まれて来る個人の行動様式を 縛り、時には不自由さすら感じることもある。 しかし、文化とは元来無駄な行動を含んでいる場合が多いと、確か司馬さんが 言ったように記憶しているが、この一見無駄な共通感覚が日常生活の 安心に繋がっていることは、その国に住んでいる時はよくわからないが 一度そこから出て見るとよくわかる。ヨーロッパではそういう文化の成熟とともに 憲法と言う概念がおこり、自分達の共通感覚に根ざした憲法と言う ものが形作られたために、比較的憲法とその国民の考えのギャップと いうのを感じずに生きているように思える。しかし、アメリカはそうでは なくて、最初にアメリカへやって来たごく小数のヨーロッパの移民達に とっては常識の延長線(やや理想も入っているが)足りえた憲法も、 本来その国での文化醸成の期間を経ていない、つまりヨーロッパの文化の 「結晶」としての憲法を採り入れたために、その結果、本来憲法が背後に持っている 文化的な共通感覚の蓄積という泥臭い部分は洗い流されてしまった。 これが、アメリカについて基本的に感じる浅薄さの基になっていると私は思う。 (この浅薄さは、その言葉の意味とは裏腹に、決して悪い物でもない。多少 逆説的だが、これこそがアメリカを偉大足らしめている要因だと私は見ている。) だから、アメリカは結晶を後生大事にして、それでもってこの問題の解決を図る しかなかろう。泥沼はいつまでも続く。年内の解決も無理かもしれない。
魚 (12/14/2000)
この国に住む人は肉食人種である。つまり、肉が主食である。スーパーなどに 行って、売られている肉はどれも厚切り、さもなくば「どうだぁあー」と言わんばか りのサイズのまさに「塊」である。日本のような薄切り肉などのようなものは存在 しない。(売っているのは日系のスーパーのみである。)値段も主食だから、もち ろん安い。そんな国だから魚などを食べる習慣は少ない。普通の米系スーパーに行 くと、魚を売るコーナーは必ずあるのだが、売っている種類が非常に少なくかつ高い。 いままで見かけたものはサーモン、ツナ、トラウト(鱒)、エビ、イカ、コッド (鱈)などの日本でもなじみの食材からキャットフィッシュ(ナマズの一種)、 イエローテイル、ブラックバスなどの日本ではあまり食用にしないものも売られて いる。基本的に白身が多いようである。味の方だが、サーモンは脂がのっていて おいしいと思う。塩鮭という考え方がないので、どんな料理にも使える。ツナは 買ったことがない。これは切り身のサイズが肉と同様でかいので使い道がないことに よる。エビは日本と同じ味だが、日本に比べて遙かに高い。話によると中国系のお店 に行くと安く手に入るらしいのだが、それでも日本と同じレベルとまではいかない。 イカは生では売っているところを見たことがない。先日、肉気に飽きてきたので魚を 食べたいと思って買い物にいったら、たいへん安い値段でキャットフィッシュを売っ ていた。勇気を出して(大げさだが)一つ購入し、家に帰って、早速臭いをかいだが、 特に川魚特有の生臭さもなかった。竜田揚げにして食べたが、白身の魚なので別に何 の特徴もない味だったと思う。食べた感想を素直にいうと、蒲焼きにしたらおいしい と思う。
私達は若いので肉食生活でも問題はないのだが、それでも、たまに日本の魚が 恋しくなる。 そういう時は日系のお店に行く。幸いLAには多くの日系スーパーが あって、たいていの日本の食材は手に入る。しかし、だからといって、それらの鮮度の 吟味は購買者自身が入念に行わねばならない。そもそも、魚を食べる習慣のない国 では、魚の品質管理の概念が確立していない。魚が切り身になって冷凍になっている のはまだましである。それがいつ捕獲されたのものかをなどを気にしていては 魚は食べられない。というのも、彼らには魚の品質保持のノウハウがないからである。 例えば、普通魚は売るときは内臓を取って血抜きを十分して、下に氷などを引いて 鮮度を保つのものだが、そういう配慮は全くない。口からなにやら怪しい液体を 垂らして陳列されている鯖を見て一瞬で購買意欲は失われる。血染めのパックなども 別に珍しい光景ではない。刺身なども売られているには売られているが見るからに 美味しそうでない。また、こうして手に入れた魚たちも肉食人種のアメリカ人は 調理する時は必ずフライである。カリフォルニアにはヘルシー思考の人が多くて、 魚を食べる人が多いようだが、結局油で揚げたら一緒だと思うが、それはコーラの 代わりにダイエットコークを飲むのと同じ感覚なのだろう。
昔ナショナルジオグラフィックスで読んだことがあるのだが、世界で取れる魚の実に半分は日本で消費されているという。贅沢というか日本人は魚食人種というか、あのレパートリーの多さはやはり四方を海に囲まれた島国だけの ことはある。海の幸に感謝。
あさって日本に帰るが、帰ったらホッケとアサリの酒蒸しがが食べたい。(妻は鯖の塩焼きを食べたいらしい。)
LA飲物小事情 (12/15/2000)
LAで飲める飲み物といえば、もちろんコークを筆頭とした ソフトドリンク類がある。これらの飲み物は、だいたい二リットルで 99¢という価格で販売されている。ソフトドリンクの商品価値と いうのは水以下で、レストランでソフトドリンクを頼んで、それを 飲み干すと、頼まなくてもお代わりを持ってきてくれる。(もちろん 店によるが..)日本で言う「お茶」感覚である。ソフトドリンクの種類 そのものはそれほど多くない。だいたい日本のマクドナルドに行って 頼めるソフトドリンク類のレパートリーを思い起こせば事足りる程度 のものである。もちろんドクターペッパーなどの日本ではすでに名前 すら忘れられているものが、こちらでは大変なポピュラードリンクと いった、多少の事情の違いはあるが。とにかく、町中を歩いて手に入れ られるソフトドリンクの種類はきわめて少ない。それを考えると、 日本のソフトドリンクの種類の多さはすごいものがあると思う。
また、アメリカと言えばコーヒーだろう。種類もアメリカンから カプチーノまで結構揃っている。確かに品揃えは豊富だが、豆を引いて 芳醇な香りのコーヒーを飲もうと思うと、結構探さなければならない。 (....と書いておこう。実のところ今まで、そういうお店を見かけたこと はない。ビバリーヒルズのホテルなどに行くと飲めるのだろうか。この広い LAどどこかにはきっと神戸のように香り高いコーヒーを出す店があると 信じているが、とにかく今のところ、そういうコーヒーにはお目にかかっ たことはない。)まあ、そういう時は自分で挽けばいいのだろうが、その為 には豆を手に入れなければならない。しかし、豆を売っているには売って いるが、挽いて飲もうとは思えないラインナップである。頼むから豆の中に バニラなどの香草をブレンドするのは止めて欲しい。アメリカ人の中に、正 しいコーヒーの味を知っている人は何人いるのだろうか。アメリカのコーヒー はひたすら薄いコーヒーをベースにした甘い「コーヒー飲料」が多いよう に感じる。
さて、アメリカには二大コーヒーチェーンがある。それはスターバックス とコーヒービーンであるが、いつも人で混雑している。とにくどこに行っても この店が必ずあって、まるで日本のコンビニのような店舗展開をしている。 こちらWestwoodの狭いエリア内にもスターバックスとコーヒービーンが 2軒ずつあって、学生がコーヒーを片手にこれらの店の中で勉強する姿を良 く見かける。いろいろ飲んでみたが、基本的に甘いコーヒーが多いと感じる。 が、アメリカ人にはそれでも足りないようでそこに生クリームがたっぷりと 注ぎ込まれたものが人気が高い。また、日本の緑茶や麦茶と言ったものは当 然ない。あるのは中国系のジャスミンティーなどだが、それでも甘い飲み物が 多いアメリカにあってはほとんど救いの一品である。聞くところによると、 特別に味付けをしていないお茶を出すのはLAだけらしい。LAにアジア系の 人が多く住んでいることが幸いしてのことだそうだ。確かにヨーロッパなどに 行くと緑茶といえども炭酸であったり、レモンが入っていたり、全く別次元の ものになってしまっているし、以前東海岸に行ったときもそういう甘くない お茶にお目にかかった記憶がない。そう考えるとLAは比較的日本人にとっては 住み易いのかもしれない。ちなみに我が家では日系のお店で購入した麦茶を 常飲料としている。
最後に一つ。現在LAでメジャーになりつつあるBOBAという飲み物がある。 NYで流行った物が西海岸にまで広がってきたものだが、どのような飲み物かというと 直径1センチぐらいの黒っぽいタピオカ団子にコーヒーなどの非炭酸飲料を注ぐ。 そして、これを直径1センチあまりのストローを差し込み、飲む。書いてしまえば それだけの飲み物だし、そもそもタピオカに味があるわけではないので、コーヒー を飲むのと味そのものは大差がない。しかし、この大きめのタピオカが大きめの ストローの中から「プルンッ」と入り込んでくる感触とタピオカのもちもちした 食感がなかなか新鮮でこれが結構ハマってしまう。私も先日トライしてみたが、 悪い物ではなかった。しばらくは楽しめそうである。この商品はこちらの女子高生 や女子大生に人気がある。その点を考えると、日本に上陸するのも間近かもしれない。 なんといってもそういう類の文化の担い手はアメリカだけでなく日本でも女子高生 ・女子大生だからだ。ただし、このブームはそう長続きしないとは思う。結局「タピ オカ入りコーヒー」だということに皆が気が付くのにそう時間を要するわけではない と思うからだ。BOBAの行く末は数年前のナタデココやパンナコッタとそれほど 変わらないように思う。

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