LA徒然草(4月)

4月の記録

NBA (4/3/2001)
アメリカに来たからには一度プロバスケットの試合を 見に行きたいと思っていたが、先日その願い叶って試合を 見る事が出来た。試合は地元LAクリッパーズとクリーブランド キャバリエーズであった。LAにはもう一つコビーブライアンと シャキールオニールを擁するレイカーズと言う強豪かつ人気のチーム があるが、こちらのチケットは予約開始とともにすぐに売り切れる という具合でなかなかチケットは手に入らない。クリッパーズは その影に隠れて、というか万年弱小、某在阪球団のような存在で 人気はあまりない。この試合も満員の観客動員ではなかった。
試合は見事地元チームが勝利し、俄かクリッパーズファンも 満足した。それは抜きにしても、バスケットのプロの試合というの は見ていてやはり面白かった。プロの世界ではスーパープレーとは 言わないかも知れないが、素人が見てやはりプロのプレーは面白い。 それだけではない。試合のエンターテイメントとしての演出もよい。 試合前の国家斉唱は、私はアメリカ人ではないので、深い感慨は ないが、なんだか厳粛な雰囲気がよい。また、クォーターの間ごとに チアリーダーが踊る。さらにタイムアウトの時には様々なアトラクション がコートの中で展開される。グッズを観客席に投げ込んだり、ダンクシュート のコンテスト見たいなものをやったりと飽きさせない構成がよい。 ハーフタイムはクリッパーズジュニアなる三菱スポンサー(なぜ?)の チビッコチームがコートに現れ、大人顔負けのプレーも見せてくれた。 時間は結局3時間ぐらいかかるが、時の経つのを忘れるぐらい楽しかった。 クリッパーズでこれなら、レイカーズならもっと白熱して興奮いっぱいの 試合が見られると思われる。ライブの面白さを改めて実感した。
これで二階席、一人$30。アメリカのスポーツとしては異常に高い。 日本人が旅行ついでにアメリカの本場のプロバスケを見るとすればよい 価格だが、アメリカ人の経済感覚からすれば高い部類に入るといわざるを えない。これは他のプロスポーツに比して高い選手の年俸によるものなの だと聞いている。プロスポーツと言うのは一種の公共娯楽だから安くならない といずれは崩壊するという友人もいるくらいである。確かにそういう面も あると思う。しかし、見た感じでそれなりの満足を与えてくれていると 思ったので、それほど悲惨なものでもないと思う。逆に言うと、これだけの 年俸を維持できるだけの観客収入やスポンサー収入があるということも できるのだから。
電気危機その2 (4/7/2001)
北部カリフォルニアの電力を供給している会社が破産申請を 申し立てた。州政府からの公的資金の投入、電力小売価格の4割 増の許可などの措置は遅きに過ぎて、結局小売値と卸値の逆鞘から 生じた損益を埋めることができなかったのである。北部カリフォルニア の電力供給がこれからの夏のシーズンを控えて、どのようになるのか というのは心配である。再公益化? それとも日本のように会社更生 のための手続きが取られるのか。それは今後の法廷での判断による らしい。いずれにしても、州政府のこれまでの緊急措置は白紙に 戻されることになる。法廷の結果が出て、それに伴う法整備が行われる には相当の時間がかかると思われ、根本的な解決は5年のオーダーで しか語れない。
南部カリフォルニアに電気を供給している会社も破綻寸前 である。最近4割の電気代の値上げを行った。しかし、現在も財政が 緊迫しているという事情は何ら改善されておらず、これまた、いつ 破産してもおかしくはない。それに加えて、この夏の暑い時期に 見込まれる電力需要は確実にカバーできないということをこの供給 会社の副社長が認めており、猛暑になって電力の需要が増えると 電力の価格のみならず電気そのものが枯渇するという事態になり、 その影響は測り知れない。冬場でも計画停電をよぎなくされた北部よりは まだ状況はいいが、それもこの夏はわからない。
それを裏付けるように3月の中旬、非常に気温が上昇した日が あったのだが、その際ビバリーヒルズやサンタモニカで停電が発生した。 南部での電力不足による停電の話を聞いたのはこれが始めてである。 事の顛末は、支払の滞っている電力供給会社に対する抗議行動として 太陽発電や風力発電の電力生産会社が一次的に電力の供給をストップさせた ことによるので、この停電そのものはかなり人為的に発生したものであるが、 この一連の電力問題がかなり人為的な所から発生しているので矛盾ではない。 その後、LAは気温の低い日が続いているので停電などの事態が起こっている とは聞かないが、これから気温は確実に上がるのでこのような事態が日常化 することは避けられない。
一方私の住むLAは何度か書いているように電力事業は公的事業であり、 また供給電力もまだ余裕があるということで、今回の民間供給会社の経営 破綻の影響を直接は受けない....ということになっている。基本的に この国には絶対に安全ということはないので、話は半分に聞いているが 道を挟んで隣のビバリーヒルズやサンタモニカで停電して、その間に 挟まれている私達の住むWestwood(これはLA市内)では起こらなかった ということを思うと、安心感は他のエリアより少し高い。しかしながら、 現代の社会で同一エリアないの 一市だけが孤立して存在するなどということは考えられないので、物流 を始め様々な所で生活に不具合が生じることも予測され、そういう意味では 生活の危機である。
州政府や関係機関はこの慢性的な電力事情を改善し、かつ環境問題 などの条件もクリアするために様々な代替エネルギーによる電力開発を 進めていたりして、それなりに危機的な状況を改善するための方策を 打ち続けているが、上で書いたようにとにかく根本的な解決は相当な 先の話になる。そのような状況の中で、私がもっとも不思議に思うのは、 ここに住む人々の生活である。電力の節約などということばは微塵も ない。電力だけでなく今後予測される危機的状況を口にはしながらも ほとんど実感として伝わって来ない。これは結局なんとかなるという 自信の現れなのか、それとも皆ノウテンキなのか、わからないでいる。 国連のある機関の調べによると、全世界の電力の50%をアメリカが 消費しているとのことで、やはり消費の国の人々の頭の中は消費する ことにしか想像が回らないのだろうか。確かにLAなどに住んでいると 物が不足して「何かがない」という状況を想像するのは難しいと思う。 国全体が貧しい時代というものがおおよそ過去の歴史の中に埋もれて いるために、それを想像するだけの想像力が欠如しているという見方もで きなくはない。だから、この様子では夏場に電力がなくなっても文句は 言うが、自分の使う電気を減らすなどということは期待できないのだろう。 あるいは別のアメリカ的見方で言うと、電力不足がもたらす影響を察知して、 そのリスクに備えるのは個人の裁量の範囲であって、用意するのも自由しな いのも自由。停電で困るのも最終的な責任は個人のリスク管理に帰 せられるというアイデアの現れであろうか。その辺りはよくわからない。 その答えはこの夏に電力が本当に枯渇してしまった時に出るような気がする。
こう言う私もその迫り来るかもしれない危機的状況の当事者であり、 また日本と言うやはり物の溢れる国から来たので、この状況にどう対処する かは手探りの状況である。が最終的には日本に帰ればよいという意味で余裕 があるのも事実であって、そういう意味ではあくまでもこの電力危機の オブザーバーとなっていられる。日本はかつて石油危機を経験し、省エネ という概念が産まれ、その後電力会社は省エネのために技術を開発してきた という経緯があるが、アメリカにはそれがない。いまだに見るからに電力 消費の多そうなアイテムがそこらじゅうにある。そういう意味では日本に アドバンテージがあるが、省エネ商品がアメリカで売れるかと言うと、 それは購買者に省エネという考えが見につかないと、それに高いお金を払う までには至らないので売れないように思う。まあ、それが今回の問題の 解決になるとは思えないが。
折り返し (4/11/2001)
アメリカに来て今日で丁度六ヵ月が経過した。今日は現時点での ちょっとした感想を書こうと思う。
まずは本来の目的であるところの研究の方であるが、幸いたいへん よい環境に恵まれて順調に進んでいる。こちらで毎週 開かれるセミナーも面白いし、得る所は十分だ。また日本と違って 出張や講演などの仕事もないためにじっくりと基礎的な所を勉強 できて、これもまたよい。殊更にアメリカに来る大きな メリットは何かと言われると、1) 応用数学者の数が多いのか、毎 週のように応用数学のセミナーが開かれる。2) UCLAはLevel Set Methodの開発者であるOsher教授の下、これに関する広範囲 にわたる応用研究が盛んである。それを頼って人も集まる。 3) 英語で議論をするよい訓練になる。と言う点であろうか。 一方で、数理流体絡みの研究者はほとんどいないために 主に議論は私を招いてくれた先生との間に限定されており、今後 他のアメリカの地域へ出張して話をしに行くことになってはいる ものの日常からの活発な意見交流の場が限定されているのはやや 残念である。が、それはある程度来る前から予想していた事である。 (逆にそういうものを目指すなら、流体に関する研究プロジェクト を立ち上げている他の大学に行くべきだろう。)
この半年でアメリカに来たことを実感させてくれているのは それ以外の日常生活においてである。毎日読む新聞の一ページ 一ページさえが新鮮である。日本で想像していたよりもアメリカ人の 物の考え方というのは日本人とは違うことも感じた。様々な出来事 を通して、怒りもし戸惑いもしたが、それで今感じているのは アメリカと言うのは結局こういう国で、それ以上でも以下でもないという ことである。私達がアメリカと言う国を見る時、一つは偉大な国という イメージがある。それは経済大国であり軍事大国でありそして民主主義国家 である、エネルギーに満ち、そこに住む人々の中から常に新しい挑戦をする ものが現れ、そして世界をリードする.....そんなイメージだ。これは国と いう集合体を考えた時のイメージといえる。もう一つは、ろくに計算も出 来ない人がおり、刹那的にその日を生き、なんでもお金に対価し、もめれば すぐ裁判になるせちがらさ、郵便を始め様々なシステムがいい加減で、身の回り の物は古くて、すぐに壊れるわ、誤動作はするわ、おおよそここの国にある 人も物もほとんどが最低品質保障もない国というイメージである。 これは目の前で経験する個人としてのアメリカ人から受けるイメージである。 この二つのイメージがどう繋がっているのかということが日本からは見え にくいが、こちらに住むと言う経験を通してなんとなく朧ろげに掴めて来た ような気がしている。分析的な説明ではなくて総合的な理解の仕方とでも 行ったら良いか。勿論そんな短期の滞在では、この感じがどの程度真実な のかは言えないが、自分なりに一つのオトシどころいうのが見え出てきた というのは内的な自己の経験の上では貴重なことであると思う。
結局はこうして自分へのメッセージとして時間を見付けては書きつけている この記録全てを総合して、それで持ってアメリカはこうでしたというしか ないのであろうが、これだけいろいろ書く事があるというだけでアメリカの 滞在は私の個人的経験においては意味があるように思える。 私は明治の人ではないので、基本的にはアメリカにコンプレックスはないし、 こちらに来て、それを感じたともないのだが、随所にわたって日本との相違点が わかり、そしてその相違を一方の判断基準から見れば矛盾だが、他方の視点から 見れば意味が通っているということを知った。そして、日本にいる時にアメリカ という国の姿が極めて日本人の勝手な想像に過ぎないと思った。要するに自分が 世界の中の田舎者であったということに気がついた。そういう意味ではカルチャー ショックと言うのは感じているのは事実である。
食文化 (4/16/2001)
一般に日本ではアメリカの食事は美味しくないといわれる。
確かに、ここに暮らしていて食事についての経験で、まず驚く 瞬間と言えば、量の多さとはっきりした味付けの食事に出会った時であろ う。たまに休日にショッピングなどにでかけると、そこにはファーストフ ードのお店が集合的に集まったフードコートと呼ばれる施設がある。だい たい平均で5件から10件ぐらいからなり、そのバラエティーは、中華か らメキシカンそして定番ハンバーガーまである。そのバラエティーにもか かわらず選べるそのメニューはあまり変わり映えしないのが不思議である。 そして、基本的に量が多く味がはっきりしている食材を注文し、およそ昔 の日本のデパートの屋上を思い出させるような雑踏の中で食事などをする ことになる。何料理を食べても同じような味付けで、量が多く、しかも食 べるスペースもごちゃごちゃしていて、とても落ち着いて楽しく食事をす るという世界ではない。これはアメリカの一現実である。
しかし、その一方で美味しいレストランもたくさんある。それは 間違いない。そしてLA(もちろんNYもそうだろうが) は多民族の都市な ので、探せば本格的な食事ができるレストランが数多くみつかる。そのバラ エティーも半端ではなく、飲茶やタイ料理、ベトナム料理、メキシコ料理に ペルシャ料理など、とにかく本格的な店がある。また、最近ではカリフォル ニア料理と呼ばれる料理もあって、それらも悪くはない。これもまたアメリ カの一現実である。
だから、最初の結論の真偽は不明といえるが、一つ反論はできる。 「レストランのような高級な所にいけば美味しいのはあたりまえで、普段か ら食べている食事の質が問題である、そういう意味で言えばアメリカの食事 はまずいはずだ」と。しかし、それも反論としては弱いようだ、普段食べて いる食事の質というものを測る基準が日本人の基準ではないということを忘 れているからである。だから、日本人の味覚の基準からしてアメリカの料理 は美味しくないというのはある程度認めやすい結論なのだろうが、そういう 基準がないところで見ると議論としては成立しにくい。もちろん、何かの基準 で物事を論じるのは大切な事で、例えば日本人が日本の基準でアメリカの食 のことを論じるのは決して悪いことではない。しかし、そこからアメリカ人 の食に対する劣等性を導くのは論理の飛躍のように思う。
つまり、アメリカには多民族の人が住んでいて、それぞれの人が 自分達の出自の民族の持つ固有の食生活のパターンを強い形であれ、弱い形 であれ維持して暮らしているということだ。中国の人は中華を、日本人は和 食を、という具合に自分達の食に対する価値観の基準で食文化を構築してい るといってよい。例えば日本人を例にとればLAでは日本と変わらない生活 ができる、こちらで手には入らない食材は(値段はともかく)全くないという ことは、半年も住んでみればよくわかる。これは別に日本人だけの特殊状況 ではなくて、LAには各種料理の食材が手に入る専門スーパーが数多くある。 だから、厳密に言えばアメリカにはある特定の味覚水準に根ざした食文化が 発生しにくい状況だといえる。
そこで外食産業に目を向けて見ると、多くの民族が受け入れやすい 形で便利性や手軽さを追求すると結局はファーストフードになり、自民族の 価値観を徹底的に追求すれば高級レストランになるという形になるわけである。 食の話しにかこつけて、アメリカには文化がないという人もあるが、アメリカ 国内で文化を作り上げる事とは多民族からなる国民の多くが納得できる形での 様式を整えなければならず、それが出来てしまうと結局は世界のどこに言って も通用するような様式、つまりは文明となってしまうというのがその実体をよ く表しているように私には思える。アメリカで根付く文化の構築が結局は文明 として普遍的に世界に通用するというのはアメリカの文化を語る上で外しては ならない要素である。我々が日本にいて見るアメリカの文化はそういう形で多 民族による多基準の洗礼を受けて抽出された要素であり、その結論だけを見て、 そしてアメリカにおおける多基準の一つでしかない自分の国の基準だけから見て、 アメリカの空虚な中身を想像し非難するのは危険な独断になりうるということを 忘れてはいけないと思う。
ホームレス列伝補足 (4/17/2001)
先週末、サンフランシスコへ行って来た。私にとっては4年ぶりの サンフランシスコである。その時の感想は後で書くとして、それはフィシャ ーマンズワーフでの出来事であった。その中にとれたての蟹を茹でて食べさせ る屋台が所狭しと並んでいる一帯があるのだが、私達はそこで当然蟹を購入。 そして、屋台に備え付けられた机に向かって座ってぷりぷりに茹で上げ られた蟹を賞味し、満足していた。
すると、その時後ろから物乞いらしい、声が聴こえて来た。まあ、 ここは観光地で人が集まるし、そういう人も多かろうと思って、物乞いの顔 を見る事もなく最初はスルーしようと思った。しかし、聞こえてくるその物 乞いのフレーズはどこかで聞いた馴染み深いものであり、思わずふと振り向 くと、なんと彼は我々がWestwoodでよく見かけたハンバーガー叔父さん(記事: 3月16日参照)だったのである。恰好もその物乞いの手口も全く同じ。LA と違うことと言えばはここの寒い気候を反映して、セーターを一枚余計にジャ ケットの下に着込んでいるぐらいである。
妻と私は驚いた。まず浮かぶ疑問。彼はどうやってサンフランシスコに 来たのだろうか?二人の精いっぱいの詮索が始まった。
  • 解答1) 物乞いと言うのは儲かる商売で、そのお金で飛行機代を捻出した。
  • 解答2) ヒッチハイクした。
  • 解答3) 誰かが彼をサンフランシスコに連れてきた。
  • 解答4) 歩いた。
確かに彼を最後にLAで見たのはBeverly HillsのBeverly Centerという ショッピングモールで、あれから一ヵ月弱が経過している。歩いたという可能性 も否定は出来ない。LAからサンフランシスコは東京−大阪ぐらいのなので一ヵ 月で歩いて行けない距離ではないからだ。飛行機と言うのが一番現実的な移動手 段だが、片道約$50を(往復かも知れないそれで$82) をどうやって捻出し たのかが不明である。それにいくら比較的綺麗な恰好をしていると言っても匂い がしないわけではなく、それで飛行機に載せてくれるのかどうか。ホームレスを ヒッチハイクする物好きも少ないだろうし。だとすると解答3がもっとも正解に 近いように思える。
そして、次に浮かぶ疑問。なぜ彼はサンフランシスコに?
  • 解答1) 夏暑いLAを避けて、涼しいサンフランシスコに来た。
  • 解答2) LAでは顔が売れて、物乞い商売が成立しにくくなったので場所を変えた。
  • 解答3) なんとなく
渡り鳥ではあるまいし、避暑を兼ねてサンフランシスコで物乞いとは そりゃええ身分すぎる。気まぐれと言う線も捨てにくいが、LAで者を恵む人 が一順して商売が成立しなくなったというのも現実味がない。ひょっとしたら 物乞いをまとめるギルドみたいなのがあって、彼はそれに属していて、それが 4月になったから配置転換したのだろうか?だとすると、今彼の変わりにいる 物乞いはその組織から派遣された新しいエージェントということになる。この 話しも実はでたらめな嘘ではなくて、LAの空港ででよく慈善団体の振りをし て、海外旅行客からお金を集めてそれをテロ活動などの資金にしている団体が あると聞く。人の善意でそれだけの資金があつまるなら腕のよい物乞いが結託 して一つの組織をつくってそれを組織かしていても不思議ではなかろう。
とにかく彼はサンフランシスコにいた。そして同じように手には25¢ コインを数枚持ちハンバーガーを食べるお金をくれと道行く人にねだっているので ある。それとは知らずお金を渡す人々がいる。想像力がそそられる出来事である。
そして、最後の疑問。彼はLAに帰って来るのだろうか?謎は深まる ばかりである。
特技 (4/21/2001)
「日本人の特技は狭い電車の中で新聞や本が読めることであ る」と、以前、日本に来たある外国からの客人がわたしに 語ったことがある。言われて見れば、あの殺人的な満員電車の 中にあってコンパクトに新聞を読むサラリーマンや、吊皮に 掴まりながらも文庫本を読み続けられる学生のあの器用さと 集中力を見れば驚くのも無理はないと思った。御多分に洩れず 私も大学時代は本を専ら電車の中で読んで来た口なので、この 「特技」の持ち主である。
この感想を漏らした客人がアメリカ人かカナダ人かは忘れたのだが、 彼によると、そういう特技は彼の国の人々は持ち合わせていないという ことだった。こちらに住んで見て、注意していて見てはいるが、悲しいかな LAには電車らしい電車がほとんど走っていないので、彼の話を確かめ る機会はほとんどない。数少ない経験の中で言うと、数ヵ月前にアムトラック に乗ってサンディエゴに行った時、車内でペーパーバックの小説を読む人を ちらほら見掛けた。だから、彼が日本人の特技だといったのは、おそらく 「満員電車の中」で本を読んだりする能力のことを指しているのだと今は 考えている。しかし、何度も言うが、その真相は車社会のLAの中にいては 確かめようもない。あの混雑した満員電車を経験できるアメリカの都市な どは、ニューヨークとかシカゴとか、それほどないだろう。その真相は ともかく大部分のアメリカの都市では、まず満員電車で数時間かけて通勤という 経験すらが稀有なので、日本に来て驚くのも無理はないと思う。
実はそんなこと書いたのには訳が有って、最近私も外国人の一人として、ア メリカ人の「特技」を一つ発見したからである。それはフィットネスクラブ で自転車を漕ぎながら、あるいはランニングマシンの上で走りながら本や新聞 が読めるということである。足繁くジムに通うようになると、最初は器具の物珍しさ に目を奪われて感じなかったのだが、運動している間の時間が長く感じるように なる。例えば自転車を30分も40分も漕ぐ時間も、だんだ慣れて来るに従って 飽きて来る。そういう事情もあってか、回りはウォークマンなどを耳に当てて 運動をする人が多い。しかし、本を読みながら走る人も少なくないのである。 自分もやって見たが、身体が結構激しく動いているので、本に視点を合わせる のが難しいことがわかった。それにエアロビ運動ので、最初はいいがだんだん 心拍数があがり、ついで息があがりだすと、もう本にエネルギーを注ぐという わけにはいかなくなった。こうなってくると、これは「特技」と認めるしかない。 これも何ヵ月か練習していると出来るようになるのだろうか....。
人間何か一つぐらいは特技があるものだが、ある国に住む国民の日常生活の 繰り返しの中から生まれて来る国民的「特技」というのが必ず一つぐらいある ものだと感心している次第である。
みっちゃん (4/22/2001)
日本には「てっちゃん」と呼ばれる人々がいる。要するに 鉄道マニアのことだ。 アメリカはそれほど鉄道が発達し ていないし、利用がそれほど手軽にできるわけでもないために そういう人々はあまりいない。といっても、広いアメリカの ことだからアムトラックマニアはきっといるに違いない。しかし、 国民の足として馴染みの深い日本におけるテッちゃんとは 違う感覚があるとある友人から聞いた。
その友人に日本での鉄道マニアの話をすると、それに相当する ものとして道路マニアがいるらしい。略して「みっちゃん」(と 私が勝手に名付けておく)。彼らはインターステートのフリーウ ェイをひたすら走る。そして、全州制覇を目指す。鉄道に比べて 車は自分の時間スケジュールでまわれるので、それなら、鉄道全 線制覇よりは簡単そうに聞こえるのだが、さらによくその話を聞いて いると、インターステートで全州を目指すというのはかなりの難 行らしい。それを困難たらしめているのはロッキー越えだという。 ロッキー山脈を越える道路が限られているためにロッキー沿いの 州を走るには結構な遠回りが必要となる。そこで多くのみっちゃん は全州制覇を断念するらしい。試しにアメリカ地図を広げて見た。 確かにモンタナ、ワイオミングユタ、アリゾナ、アイダホは辛そう だ。さらに南北に近接して存在するノースダコタとサウスダコタ、 ネブラスカ、カンザスを南北に結ぶインターステートはあるのか ないのかわからんような走り方をしている。この難所を走って、 みっちゃんどもは己の制覇した街の自慢をするのだろうか。 制覇を困難にしているのは道のつき方だけではない。勿論その 走行距離が問題だ。さらに田舎にいけば街と街の間は全くの 荒野である事が多く、一旦車にトラブルが発生すれば、場所が 悪ければ命の問題になる。例えばLAとSFを結ぶ道路を 走る(約600キロぐらい)場合でも、トラブルによる走行不能に 備えて、一夜を明かすための毛布、水、食糧は必需品であると 聞いた事がある。だとすれば州を走るには、それ相当の準備を しなければなるまい。てっちゃんならコンビニで弁当を買って、 途中の駅のベンチで夜を明かすまでだが(それでも北海道の駅で 夜を明かす時は凍死しないように注意しなければならないが)、 故障した車だと空調も効かないし、下手をすると数日もの間、他の 車が通らない所もあるので、生き残るための手立てを周到にして おかなければならない。アメリカのみっちゃんは日本のてっちゃん よりも苛酷な試練を自分に強いているということになる。
話はそれるが1960年代、ルート66と呼ばれるシカゴ−LAを結ぶ フリーウェイがあった。( Nat King Cole の歌で Route 66 というもの があった。) この道は今は法律的には存在しないのだが、歴史的道路として、 その一部が保存されている。アメリカがもっとも幸せだった頃の思い出 をのせて、この道路を懐かしむ人が多い。このルート沿いにある街では、 ルート66グッズを売る店も多い。鉄道に自分のかつての青春を重ね合 わせて、廃線を懐かしむ日本人が多いのと同様にかつてのフリーウェイに 自分の青春を重ねるアメリカ人が多いというのは、いかにもお国柄の違い 感じとられて面白い。
在外選挙 (4/29/2001)
日本では小泉総理大臣が誕生し、ここ数年のうちで一番大きな 転機を向かえているようである。大きな国難に直面して、 有効な打つ手をもたない中央政府が地方に意向を尋ねて、その 意見で動かされるという構図は、鎖国崩壊後の慶喜の将軍就任 時の江戸幕府のようで面白い。歴史が何らかの象徴的な形で繰 り返すならば、小泉さんは自ら自民党政権を一旦破壊する ことになるかもと想像してみたりする。(それが小泉さんの言う 「解党的」出直しというフレーズとどうつながるかは知らないが。) 実際に起こりそうな事は自民党単独による安定政権の復活か 自民党崩壊による、さらなる混乱かというところか。それは 小泉政権が今後の政権運営と自民党改革をどのように行うのか という所にかかっていると思う。 そして、その一つのマイルストーンとして、7月にある参議院選挙 は大きな意味を持つと考えられる。そして、これからの数ヵ月で小泉さんが 思い描くグランドプランと、その実効性が片鱗でも見えれば、今度の 参議院選挙の結果予測は森政権のころのそれとは大きく変化するに違いない。
今度の参議院選挙は思いがけず大きな意味を持つ選挙になりそうだが、 私達夫婦は今日本に現住所がなく、したがって選挙人名簿に名前もない。 となると投票は出来いことになるが、それは日本人としての重要な権利が 奪われることになるので、実はちゃんと選挙はできるのである。その方法が 在外選挙である。この制度が出来たのは数年前のことであって歴史は まだ浅いのだが、海外に住む邦人が海外にいながら衆議院と参議院の国政選挙 に参加できるようになったのはたいへん有難い事である。
さて、どのようなステップでこの在外選挙が行われるのだろうか。まず、 最寄りの日本大使館か総領事館に出向いて在外選挙人と しての登録をしなければならない。登録するためには、観光ビザではなく 在留ビザを持っている必要が有るので、少なくとも3か月以上、海外に 在留している事を証明しなければならない。私達はアメリカに入国(10月) 後すぐにLAの日本領事館に在留届を提出していたので、在外選挙人登録 時(1月)には自動的に在留3か月以上ということが証明されていたことになる。 (そういう意味でも在留届はちゃんと提出した方がよい。) それから、自分の パスポートを提示する。私が在外選挙人としての登録先は出国までの現住所地 (名古屋市名東区)の選挙管理委員会となる。申請書に必要事項を書いて領事館に 提出すればそれで手続きが終了。後は領事館から名古屋市に書類が行って、そこで 在外選挙人登録証が発行されて海外に住む本人の元へ送られる。申請が一月で手 元に登録証が届いた のが最近なので、発行までに約3か月はかかることになる。次に実際に投票を 行うわけだが、投票方法は2つある。一つは最寄りの総領事館か大使館に赴いて 直接票を投票する方法。もう一つは郵送による郵便投票である。LAの場合は 郵便投票となる。その郵便による投票をする場合は、まず投票表紙を申請しなければ ならない。衆議院の解散総選挙の場合は解散日から、その他の場合は任期 満了の60日前から在外投票と投票用紙が配布される。発行された登録証と ともに投票用紙申請用紙を同封して担当選挙管理委員会に郵送する。すると 投票用紙が送られて来る。それに自分の指示する政党名(在外選挙は比例代表の 投票しかできない) を書いて、投票日の前日までに着くように選挙管理委員会 に再び郵送する。これで全行程が終了である。
在外選挙の登録は簡単だが時間がかかるし、投票の手続きもなかなか繁雑なような 気がする。確かに選挙の一票の重みを考えれば、これだけの厳重な手続きを必要 とするのも無理はないが、もう少し簡略化できないものかと思う。また、 直接に大使館に赴く場合はよいが、近くに大使館がない場合は(アメリカだとそれは 大いに有りうる。)だと登録はなかなか繁雑だし、それからの手続きもたいへんである。 この手間を惜しまずに投票するという人はきっと日本でも投票する人だろうし、そうで ない人は日本でも投票はしないのだろうから手続きの簡略化は本質的に登録者を増やす ことになるかはわからない。以前在外選挙の制度が出来たにもかかわらず登録者の 比率が少ないというニュースを読んだ事があるが、海外在留が長期に 及ぶ人ならともかく、短期の滞在の場合は、これだけの手続きをしてまで投票しなく ても 一回ぐらい選挙に行かなくてもよいという気になって登録をしないということも 考えられる。選挙に行く行かないは本人の意志なので、それをどうこう言うことは しないが、もう少し手続きが容易(例えば在留届を提出して3ヵ月立てば自動的に 登録証が発行されるなど) になれば選挙登録の数(投票するかどうかは別問題と して) も増えるものと思われる。
私は今度の参議院選挙にちゃんと一票を投じるつもりである。

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