「ルべーグ積分入門--使うための理論と演習」まえがき


本書はルベーグ積分論、及びその応用として実解析学の初歩を 解説することを目的とする。 ルベーグ積分論は現代の解析学で必要不可欠な言語であり技術であるが、 その大きな利点として次の2つが挙げられる。 読者諸氏がルベーグ積分という言語に慣れ、技術として 実際に使えるようになることを本書の目標とする。 一方、不幸なことではあるが、ルベーグ積分では積分を定義する為に 可測集合、測度、可測関数、... といった概念が必要で、それらに慣れるには ある程度の時間と労力を要する。これは、上記2つの利点に対し、 ルベーグ積分論の「難点」と言っても過言でない。 本書の構成を考える際、 積分論で学ぶべき事柄を次のように分類した: 積分論の通常の教科書や講義では、概して (b) から (a) という順序で話が 進み、それは数学的論理としては確かに自然である。しかし、その順序で 学習を進めると、先に述べた意味での ルベーグ積分の利点以前 に難点が目立ちがちとなる。 筆者の少々乱暴な(?)考えによれば、積分論の入門段階ではまず (a)の内容を習得すべき で、(b)に属する事柄を、証明の細部まで知る必要は必ずしも ない。実際、 (a) の内容を知っていれば、(b) について知らなくても 積分論を使うことが出来るが、(b) の内容だけでは、 学習に要する労力にも拘らず殆んど使いものにならない。 そこで、本書では (a)の内容を優先し、これらを最小限の準備で(従って早い段階で) かつ出来る限り 明解に述べるようにした。 一方、(b) の内容には (★) 印をつけて区別し、その部分を飛ばして読んでも 全体像が理解出来るように配慮した。 伝統的な立場からは、本書のこのような構成は大変安直に映るかも知れない。 しかし、この方針は単に筆者個人の安直さの反映ばかりでなく、 限られた時間で 積分論が「使える」ようになるという目標達成の為には必然的選択でもある。 また、 物理的意味を持った偏微分方程式や確率論への応用を例にとって積分論の 「現実の問題に対する有効性」が伝わるようにしたい。 以下、本書の使い方を筆者なりにご案内させて頂く。

教科書または自習書として

本書は京都大学での筆者の講義録を出発点とし、 教科書、自習書として使えるよう加筆したものである。 教科書としてお使い頂く場合の進度の目安としては、 例えば週一度 90 分の通年講義と仮定すると、 半期で 5 節くらいまで進み、 残り半期をそれ以降に充てる程度が想定される。 読者が自習書として本書をお使いの場合、進度は勿論読者の自由である。 その場合は、何度も読んで少しづつ理解を深めてゆくつもりで、 是非気長にお付き合い頂きたい。ルベーグ積分論の本を、一度読んだだけで 習得出来るのは並外れた能力の持ち主だけだろう。 しかし、ある程度の予備知識をお持の方なら、 何度も読むうちに必ず習得出来る筈である。

予備知識:

本書の読者に仮定する予備知識は、大学の理科系学部1年から2年生程度の 微積分(例えば \cite{Sug})と線形代数である。とは言ってもこれらを完全に 習得してからでないと、本書が読めない訳では決してない。 まずは読みはじめてみて、読み進む中で 必要に応じて予備知識を補充していくのが現実的だろう。 また、ルベーグ積分論を学ぶには集合の可算性と非可算性に対する理解や、 ユークリッド空間の位相についての基本事項も必要だが、これらについては 本書 11 節に自己充足的解説を設けた。

(★) 印について:

本書の各項目を、 「骨組み」に相当する最低限の必須事項と、「肉づけ」に相当する部分に 区別し、後者の項目には(★)印をつけた。 これは、限られた時間内で効率的に試験勉強する際の目安になるだろう。 また数学の本は、一度読んだだけでは なかなか身につかないのが普通である。そこで、一度目は(★)なしの項目を 優先的に読み、2度目では(★)付きの項目にも積極的に 挑戦する、といった読み方も出来る。

「問」について:

殆んどの節に練習問題(「問」)を設け、巻末に略解をつけた。 (★)なしの問は、出来るだけ自分の頭で考え、 自分の手で計算することを通じて積分論を「使える」 ようになって欲しい。かと言って、 自力で解答出来なかった場合も悲観する必要はなく、 巻末の略解を見て理解すればよい。そのかわり、 決して飛ばして先へ進まないように。 (★)なしの問に解答出来て、なお余力があれば、興味に応じて (★)付きの問を考えてみるのもいいだろう。

謝辞

本書を世に送ることが出来たのは、多くの方々にご援助頂いたおかげである。 磯崎泰樹氏、乙部厳己氏、加藤毅氏、熊谷隆氏、 白井朋之氏、杉浦誠氏、種村秀紀氏、 千代延大造氏、名和範人氏、原啓介氏、日野正訓氏、 福島竜輝氏、前野俊昭氏、 以上の方々は初稿を丁寧に読んで下さり、 数々の貴重なご意見を寄せて下さった。それにより、最終稿提出までの 間に、多くの訂正と改良を加えることが出来た。 また、遊星社の西原昌幸氏には本書執筆の機会を頂き、 その後も多大なご助力を賜った。以上の方々に厚くお礼申し上げたい。