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講演内容アブストラクト
1.江戸の数学塾に学ぶ数学教育
 小川 束


 江戸時代に,現在の千葉県に至誠賛化(しせいさんか)流という数学の流派がありました.この塾は数学史上傑出した人物を格別輩出した訳でもなく,ごく普通の塾でした.
 ところがこの塾は私たちに貴重な書物を残してくれました.それは活動の記録をまとめた年報です.そこには門人達が作った平面幾何や立体幾何の問題とその解答が記載されているだけでなく,門人達によるコメントも記されていて,門人達の数学の楽しみ方を垣間見る事ができます.また,年報の劈頭には門人の心得が記されていて,数学の勉強の仕方や心構えが述べられています.
 今回の講演ではこの至誠賛化流の年報を紹介するとともに,現代の数学教育を念頭に置きながら,江戸時代の人々にとって数学とは何だったのか,どのように数学の勉強したのか,私見を披瀝させていただきます.またこの年報に記載された史料の教材化についても述べたいと思います.
2.江戸の数学文化を現代に活用した教育実践
 牧下 英世


 江戸時代の数学というと、寺子屋での学び,特に,"そろばん"をイメージする人が多いようです。しかし、現在に残されている書物を紐解けば,江戸時代の人たちが様々な数学に取り組んでいたことがわかります。その内容は,クイズやパズルなどの遊びの数学や,両替・測量など日常生活に必要な数学から,例えば、円に内接する正32768 角形の周の長さを計算することによって円周率を3.1415926...と計算した数学まで多岐にわたります。
 江戸時代の数学の発展の礎は、関孝和や建部賢弘らの研究により固められました。そして、時代は進み江戸後期になると、多くの人の研究によって数学はさらなる発展をとげていきました。明治になり、西洋から入ってきた数学を"洋算"、これまでの江戸の数学を"和算"と呼び区別するようになりました。
 1872 年,明治政府は学制により、学校では洋算による教育をはじめました。それにともなって和算を学ぶ者は徐々に少なくなっていきました。そのため、江戸の数学文化は、残された書物や学会などで発表される研究者の業績、研究会活動などから知る状況になっています。
 本講演では、和算の内容や算額奉納の風習を江戸の数学文化として捉え、中学校や高等学校の数学教育で取り組んできた教育実践を、東京都渋谷区の金王八幡神社,千葉県いすみ市の飯縄寺,岐阜県郡上市の八幡神社などの算額の問題,『求積』(関孝和),『算法助術』(山本賀前)などの和算書で取り上げられている問題の教材化について紹介したいと思います。