南 和彦 / Kazuhiko MINAMI


1次元量子系の厳密解:

 格子点上にスピンをおいて量子力学的に相互作用させた模型の性質を調べる問題は、量子力学的効果と統計力学的効果の両方が最も明確に現れる問題として、古くから研究されてきました。この問題は1次元ではBethe仮説から量子XXZ模型の厳密解の研究に、2次元ではOnsagerによるIsing模型の厳密解として結実したのち、Yang-Baxter関係式から量子群へと発展していきました。Yang-Baxter関係式によって解かれる模型の典型例であるBaxter模型は、互いに相互作用する2層の2次元Ising模型に等価でもあります。格子模型の厳密解を求める問題としてまずターゲットにされたのは、1次元でスピンの大きさが1/2のケースです。このケースは、次元の低さとスピン1/2の特殊性によって問題が比較的容易になり、早い段階から種々の厳密解が得られて来ました。1960年代と70年代までにこの最も基本的な領域で解けるものがほぼ解きつくされると、研究の流れは解ける模型を構成することや、構成された模型の微細な構造を調べることなどに重心を移していきました。1次元のIsing模型は、非可換性のある(transverse fieldを含む)問題についてはスピンが1/2のときにのみ解かれた状態のままで残されていました。この模型の熱力学量のひとつである量子帯磁率を、零磁場で任意のスピンSに関して厳密に求め、またそれを一般のIsing型の(有限距離の)相互作用をもつ模型について拡張したのが下の仕事です。これによって、Ising型の1次元の磁場による量子揺らぎはすべて決定されたことになります。
Kazuhiko Minami: J. Phys. A29, 6395-6405 (1996).
Kazuhiko Minami: J. Phys. Soc. Jpn. 67, 2255-2269 (1998).


 量子スピン鎖のハミルトニアンを構成する演算子が特定の交換関係をみたすとき、そのハミルトニアンを free fermion系に変換し分配関数を厳密に導出する一般的な方法を見出しました。これによって、条件をみたす演算子系から、対角化できるHamiltonianとそれを対角化する変換が同時に得られます。この方法によれば、現在までに知られている代表的な可解模型であるS=1/2 の1次元transverse Ising模型、1次元Kitaev模型、1次元XY模型、2次元正方格子Ising模型、およびこれらを拡張した種々の模型の厳密解が、比較的簡単に得らます。さらに相互作用に自由度を含む模型、多体の相互作用を持つ模型、長距離相互作用を持つ模型などの分配関数を、同様に厳密に求めることができています。この変換はfree fermion系への変換として古典的なものであるJordan-Wigner変換、Majorana fermionへの変換、南部による fermion系への変換をその特別な場合として含んでいます。さらに、トポロジカル相や量子情報との関連から議論されている1次元cluster模型について、cluster模型を拡張した可算個の模型の列を複数導入し、自由エネルギー、自発磁化、String相関を厳密に導出しました。この結果は、Jordan-Wigner変換の代数的一般化であると考えることができます。
Kazuhiko Minami: J. Phys. Soc. Jpn. 85, 024003 (2016).


相転移における普遍性の破れ:

 相転移は温度、磁場などのパラメータ変化させていくとき、ある点で物質の状態が劇的に変化する現象です。気体・液体・固体の間の転移や、物質が低温で磁性を持ったり、超伝導状態・超流動状態に変化したりするのがその例です。その相転移は物質の自由エネルギーの高階の微分の特異性によって分類されますが、その発散は通常はベキ的であり、ベキの値つまり臨界指数の値は特定の有理数になるということが、経験的に信じられて来ました。これを普遍性仮説とよびます。しかしBaxter模型の厳密解が得られてみると、その臨界指数は模型の含むパラメータに依存して連続変化していました。このいわゆる普遍性仮説の破れについて、Baxter模型を特殊な場合として含み、それ自身はまだ解かれていない層状のIsing模型について近似計算を繰り返していましたが、それを通じて普遍性仮説が破れるための十分条件を、格子としての構造から見出して定式化したのが以下の仕事です。これは導出は現象論的ですが、仮説の破れが厳密解を通じて確定している代表的な模型の大部分を含み、まだ解かれていない一連の模型を同時に含みます。
Kazuhiko Minami and Masuo Suzuki: Phys. Lett. A180, 179-182 (1993).
Kazuhiko Minami and Masuo Suzuki: J. Phys. A 27, 7301-7311 (1994).


量子磁性体の実験的研究:

 磁性物質について同じ条件で同じ量、例えば比熱を測定しても、物質によってその値は大きく違います。これは物質ごとの性質の違いと同時に、それぞれの物質においてスピンとスピンとを結合する相互作用の大きさが違うからです。したがって、測定結果は値自体を直接比較すればいいわけではなく、その物質の相互作用の大きさJで規格化した上で理論結果と比較しなければなりません。要するに、物差しで長さを測る際に、まず単位長さである1の大きさが分からなければ何も測れないというのと同じことで、磁性物質の場合にはこの1が物質ごとに違うので、それぞれについてまずその値を決めることが必要になるということです。これを得るために古くから標準として利用されて来たのが、XXZ模型の比熱と帯磁率を数値計算によって求めたBonner-Fisher曲線で、自分の測定結果がこの曲線に最もよくあてはまるJの値を、その物質のJの値の近似値としてその後の解析をすすめるということがなされて来ました。しかしこのBonner-Fisher曲線は、最も典型的な模型であるXXZ模型に限られたものであり、また計算機の性能上の制約から、スピンの数が11個までという非常に小さなシステムについてのものでした(現実の物質はアボガドロ定数と同程度のスピンを含みます)。そのため、実験物質のJの値をより良い精度で求めるために、自分の扱っている物質により近い模型に関する理論計算を探し出すなど、それぞれの物質について個別の努力が必要でした。そこで個々の物質についてBonner-Fisherの計算に相当する数値計算をして、相互作用定数Jの値を決定する手伝いをし、また実験結果の理論的解析をして来たのが論文リストにいくつも見られる磁性物質の実験に関する論文です。

 磁性物質に磁場をかけてそれを強くしていくと、磁化が現れそれが大きくなり、最後にはその物質の最大の磁化の値に達して(飽和して)それ以上大きくならなくなります。その最大値に事実上達する磁場の値を飽和磁場とよびますが、この飽和磁場は相互作用定数Jの関数になっています。したがってその関数形がわかれば、飽和磁場の測定結果から逆算してJを決めることが可能になるわけで、膨大な論文の中から自分の物質に対応した理論計算を探し出すという作業をする必要がなくなります。こういった発想から、飽和磁場のJについての関数形を決める処方箋を示したのが下の論文です。これは理論としては初等的なもので新しさはありませんが、Jを決定するために飽和磁場を利用するという発想は今までにはなかったものです。ただし現在の技術では、実験室内で飽和磁場に相当する強磁場を実現する事は困難な場合が多く、この結果の応用例はまだ非常に少ないはずです。しかし実験室内で強磁場が容易に実現できるようになれば、物質が手に入ったらまず飽和磁場を測定してとりあえずJを決めるという、実験家にとって溜飲のさがるような状況が実現します。技術というものは日進月歩で、現在不可能だからといって将来にわたってその可能性がないということを前提にすべきではないでしょう。例えば物質の帯磁率を測定することも、現在ではSQUIDという既製品の機械(中型の冷蔵庫くらいの大きさのもの)が現れ、試料を入れてスイッチを押すことで非常に簡単に測定できるようになっています。(理研でPDだった当時、作業を横で見物していたら「これは簡単だから、君にもできるよ」と言われました。)この結果は投稿論文の他に、朝倉書店から出版された「物性物理ハンドブック」に載せてあります。
Kazuhiko Minami:"On the saturation field of magnets" J. Mag. Mag. Mat. 270, 104-118 (2004).


可解格子模型におけるフラクタル構造:

 six-vertex模型は正方格子上の氷のモデルにをきっかけに構成された2次元格子上の模型です。この模型は、代表的な可解模型であり、1次元量子XXZ模型を含んでおり、また量子群が発見されるひとつのきっかけとなった、重要で豊富な構造を持つ模型です。
 このsix-vertex模型では、境界条件によって自由エネルギーが異なる場合があることが知られていました。通常の模型では、境界からの影響は粒子数を無限大にする熱力学的極限で消えるので、この結果はとても奇妙に見えますが、少し考えると以下の議論で説明できることが分かります。この模型では状態空間の中のすべての配位が許されるわけではなく、six-vertex模型のvertexに対する制限(Ice rule)をみたす配位のみがゼロでない確率で可能になります。これらの実現可能な配位はある種の保存則をみたしており、境界条件を指定するとそれによってこの保存量が指定され、状態空間内で実現可能な領域が同時に指定されます 。その領域内の配位についてのBoltzmann因子の和が分配関数で、その分配関数から自由エネルギーが得られるのだから、自由エネルギーそしてそこから導かれる様々な物理量が境界条件に依存することは自然に納得できます。
 この議論を精密にすることで、さらに強い結論が得られることが分かります。まず、状態空間内のこの領域は、熱力学的極限でフラクタル性を持ち 、そのフラクタル次元は高温極限でのエントロピーに対応して、自由エネルギーを区別します。このとき自由エネルギーがこの模型の古典的な解であるLieb-Sutherlandの厳密解と一致するための条件も分かりました。また現在までに知られている他の結果も同時に説明できます。これらの結果は格子模型の状態空間の構造に注目するという視点で初めて得られます。
 さらに、この状態空間内のフラクタル性を分類するために、境界条件の概念を拡張した一種の等価性を導入しました。境界条件それ自体が違っていても、お互いに等価であるとき、熱力学的極限での自由エネルギーが一致することを導くことができます。これを利用すると現在までに知られている諸結果を含めて、模型の自由エネルギーを分類することができます。境界条件に依存する例としない例はともに無限個存在することが分かります。
 この境界条件の等価性は、伝送行列における既約性に対応しています。つまり、格子の一端における等価な境界条件の集合を基底にとって伝送行列を書くとき、伝送行列のこの部分は既約です。状態空間内のフラクタル性という見方をすると、six-vertex模型のフラクタルはgraph-directed IFS型のフラクタルであり、境界条件の等価性はフラクタルの言葉で言うところの推移性に正確に対応し、熱力学的極限での自由エネルギーの一致も、このgraph-directed IFSフラクタルの体系の中で対応する事実が証明されていることをこのときに見つけました。
 この等価性は、six-vertex模型の部分空間を確率過程と見て伝送行列を遷移行列と見たときの、行列の正規性にも対応しています 。これらの事実はこの構造を非平衡系の統計力学の問題として捉えることができることも示しています。またこれらの事実は、可解な格子模型の系列に対応して、フラクタル次元のみたす関係式が厳密にわかるフラクタル集合の系列が構成できることを示しています。このテーマはより詳細に(あるいは違う視点から)調べ直す必要があるという気がします。
Kazuhiko Minami : J. Phys. Soc. Jpn. 74, 1640-1641 (2005).
Kazuhiko Minami : J. Math. Phys. 49, 033514 (2008).
Kazuhiko Minami : Int. J. Pure and Applied Math. 59, 243-255 (2010).


可解格子模型を利用した生物系の等価性:

 異なる種類の細胞を混ぜておくと、同じ種類の細胞が互いに接着して細胞塊を形成する場合があります。これを細胞選別とよび、臓器の形成などの基本的なモデルであると考えられます。この細胞選別のある種の数理モデルは、それぞれの次元で Ising 模型と等価です。一方でスピン系の分野では、2次元正方格子 Ising 模型と1次元の量子XY 模型およびtransverse Ising模型とが等価であることが知られていました。したがって1次元 XY 模型と等価な生物系のモデルがあれば、可解模型の間の等価性を経由して細胞選別のモデルと等価になることがわかります。具体的には、2次元の細胞選別の接着確率は、対生成と対消滅のある1次元のランダムウォークのいくつかの期待値で厳密に表すことができます。このことは、一見全く異なる生物系が共通の数理構造に支配されている可能性を指摘したことになります。
 1次元のシステムというのは、ともすれば理論家が解析のために考えた理論上のおもちゃであると言われることがありますが、1次元で要素が確率的に移動する現象は、実は生物の最も基本的な部分でしばしば見られます。上記のランダムウォークはその基本になる過程ですが、より具体的には、遺伝情報からタンパク質を合成する mRNA 上のリボゾーム、神経系や細胞内の輸送を担うキネシンとダイニン、筋肉の運動に関わるミオシンなどがあり、 これらのいわゆる分子モーターを扱うひとつの方法として、その遷移行列をスピン演算子によって書きあらわすことができます。一般に、生物系の数理モデルがスピン系のハミルトニアンによっ て必ず記述されることを示すことができ、その結果、スピン系において得られている結果と知られている解析手法が、生物・生命現象 の数理モデルの解析に応用できることがわかります。
K. Minami: arXiv:1106.6210v1 [q-bio.CB]

 ある生物系の研究者によれば、生物学者にはある特定の生物種に惚れ込んで、その種と関連種をねばり強く観察し、面白い習性を見つけるというタイプが多く(彼の言によれば「一点突破型」)、ある範囲の生物種に普遍的に成り立つ特性を見出そうと試みる人はあまり多くはないとのことです。また、物理系の研究者はモデルを作るときには、その本質を失わないという条件の下で出来るだけシンプルなものを構成してこれを調べようとしますが、生物系の研究者は個々の生物種を数理的に精密にあらわしたモデリングを心がけます。そのため、異なる生物に対する異なる数理モデルの間の共通の構造という発想はあまり持たれてこなかったようです。上記の等価性に関する結果は生物学者には相手にされないのではないかと心配していましたが、予想に反して興味を持ってもらえていることを感じます。

その他:
 その他に、(量子力学の極めて直接的な応用例としての)量子アルゴリズムや(生物系に関係した意味での、あるいは統計力学の拡張という意味での)ネットワーク系の問題にも関心をもっていろいろと調べていますが、これらについてはまだ新しい結果は得られていません。


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