秋津

七歳までここで育った。東京都東村山市の北端で、あと数十メートルで埼玉県の所沢市になる。柳瀬川という川のほとりで、ヘビとカエルの多いところであった。近くに詩人の草野心平の家があり、詩誌「歴程」の事務局になっていたようだ。その隣りは西山舜之助という画家の家で、そこに絵を習いに通っていた記憶がある。

私の曾祖父は群馬の渋川の出身で、秋津に来て警察官をしていた。たいへんな癇癪持ちで、怒ると鬼のように恐ろしいのが近隣に知れ渡っていたそうである。祖父は陸軍飛行場の整備士学校の教官で、こちらも怒りだすと本当に怖く、私自身もその血が自分に流れていることを感じることがある。秋津の家の周囲には私の家族の他に祖父の二人の弟が住んでいた。もっとも祖父の兄弟はほとんど男ばかり合計十一人おり、私はいまでもその全員を把握してはいない。

Salzburg

七歳から二年ほど滞在した。ヨーロッパの宝石とよばれる美しい街である。オーストリアの中央部、ウィーンから西におよそ250km、インスブルグから北東におよそ150km、ヨーロッパアルプスの北端に位置している。モーツァルトの生誕の地であり、石畳の旧市街の周囲にあたらしい住宅地が広がり、郊外にはザルツカンマーグウトとよばれるたくさんの美しい湖があり街を取り囲んでいる。日本人学校がなかったため、地元の公立の小学校に入ったが、語学の才能がないらしく、二年間通っても最後までドイツ語は話せなかった。

日本とオーストリアの教育課程の間には大きな齟齬があり、私は日本の小学校で足し算と引き算を習ってオーストリアに来て、そして現地の小学校で再び足し算と引き算を習った。したがって帰国後に日本の学校に戻っても、かけ算と割り算は終わっていることになる。さすがに父が心配して九九だけは教えてくれたが、ただし1の段はあたりまえで、かけ算は順序を逆にしても結果は同じなので九九は半分だけ覚えればいい、と言われて半分だけ覚えた。今でも覚えていない方の計算をする時には、頭の中で順序を反転させている。割り算は結局教わらなかった。

所沢

九歳から二十代前半までここにいた。古くは鎌倉街道沿いの宿場町、現在は西武池袋線と新宿線の交叉するところで、西武ライオンズ球場がある。この所沢と秋津との境は「となりのトトロ」のモデルになった場所で、秋津にいた頃の自宅から柳瀬川を数百メートル下った場所が「トトロの森」である。また、あれに登場する七国山は、本当は八国山といってここに実在している。

川越高校

母校である。埼玉県の県立の男子校で、川越城の城址が敷地になっている。宿題も補習もない、とてもよいところであった。最近ウォーターボーイズ発祥の地として知られるようになった。受験を意識することの少ない環境で、私の同期もたしか75%が浪人した。以前、母校Web Pageにある「卒業生の皆さんへ」を、何か立派なメッセージでも書いてあるのかと開いてみたことがあったが、出て来たのは調査書申請の方法で、「1浪・2浪⇒ 旧担任か旧学年主任、3浪以上⇒ 進路室」とのことである。

文科系と理科系と、学部生と大学院生と教官の、種々雑多な人種が同居する。大学とは関係のない人間もいた。駒場時代はなつかしいし、今も駒場はとても好きである。


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