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: 1次漸近論 : 量子推定の枠組み : ミニマックス法,Bayes 法,許容性

量子 i.i.d. 条件と推定量の3つのクラス

一般に統計的推測を行うには同一の未知の確率分布に従うデータが 複数存在していなければならない. 量子状態の推定の場合は,それと同様の状況として ある同一と見なせる粒子発生装置を, 同一の条件で複数 ($ n$) 回,繰り返して用いた場合などが考えられる. こうして得られた粒子の状態は同一と見なして支障は無いと思われる. 合成系上の状態はテンソル積状態 $ \rho^{\otimes n}$ になると考えられる. (量子 i.i.d. 条件) したがって $ n$ 個の系からなる合成系 $ {\cal H}^{\otimes n}$ の上にある, テンソル積拡大された状態族 $ {\cal S}^{\otimes n}:=
\{ \rho^{\otimes n} \in {\cal S}({\cal H}^{\otimes n})\vert
\theta \in \Theta\}$ に対する推定問題を考えることになる. もちろん,テンソル積拡大された状態族に対して $ {\cal D}^W_\theta(M)$ $ {\cal D}^W(M),{\cal D}^{W,\nu}(M)$ などの議論をすることになる. 最適化の対象となる $ M$ はテンソル積空間 $ {\cal H}^{\otimes n}$ 上の POVM である. これらの POVM に対してミニマックス法や Bayes 法などを適用することになる.

だが, $ {\cal H}^{\otimes n}$ 上の 任意の POVM に対応する測定を実行するには 各系間の相互作用を可能な限り積極的に利用する必要があり, 極めて困難である. ここで,以下のような2つの合成系 $ {\cal H}^{\otimes n}$ の POVM の制限されたクラスを考えることにする.

一つ目のクラスでは $ n$個の系を全く相互作用させずに順次測定する. このとき,全ての系に対して全く同じ POVM に対応する測定を行うこととする. こうして構成される推定を「量子相関を用いない非適応的な推定」とよぶ.

もう一つのクラスでは$ n$個の系を全く相互作用させずに順次測定するが, $ k-1$番目までの測定値 $ (\omega_1, \ldots , \omega_{k-1}) \in \Omega^{k-1}$ に依存させて, $ k$番目に行う測定 $ M^{(k)}_{\omega_1, \ldots , \omega_{k-1}}$ を選ぶことが可能とする. 言い換えると,前回までの測定で得られた情報を使って 次の測定の選択に役立てることを許すのである. こうして構成される推定を「量子相関を用いない適応的な推定」とよぶが, これは古典的な適応的な実験計画に通じる問題設定である[16]. ここで,Remark [*]で述べるように, $ M^{(k)}_{\omega_1, \ldots , \omega_{k-1}}$としては 全ての $ {\cal H}$ 上の POVM を許すことにする. このような測定は以下のような合成系上の POVM で 書けることが確認できる.

    $\displaystyle M^n=\left\{M^{(1)}_{\omega_1}\otimes M^{(2)}_{\omega_1,\omega_2}\...
...ega_1, \ldots ,\omega_n}
\right\}_{(\omega_1, \ldots , \omega_n) \in \Omega^n},$  
    % latex2html id marker 3702
$\displaystyle M^{(k)}_{\omega_1,\ldots,\omega_k}=
(...
...M^{(k)}_{\omega_1,\ldots,\omega_k}=\mathop{\rm I}\nolimits
\quad(k=1,\ldots,n).$  

これらに制限されたクラスでの推定に対して合成系上の全ての POVM を許す 推定を「量子相関を用いる推定」とよぶ.

Remark 2   全ての実行可能な測定は([*])の意味で POVM で記述されることは,広く認められた事実である. しかし,逆に任意の POVM について, それに対応する測定が実現可能かどうかについては, 疑問視する声もある.

そのことを承知した上で, 本稿では全てのPOVMに対応する測定の実現可能性を 仮定して,種々の最適化問題を扱う. これは簡単の為の仮定であるが, もし最適解の POVM が実行可能であれば, この問題設定は十分意味を持つ. 実際, 後の[*]で述べるように, boson coherent 状態族では最適解が簡単な実験系で実現できる. spin $ \frac{1}{2}$ coherent 状態族でも,[*]で述べるように, 後に述べる意味で最適に近い POVM が簡単な実験系で実現できる. また,本稿では述べないが,spin $ \frac{1}{2}$ 系の混合状態からなる系での 「量子相関を用いない適応的な推定」 でも,最適解は簡単に実現できる[31][9]. その他,boson coherent 状態をガウス分布で重ね合わせてできる状態族 (量子 Gauss 状態族)の推定 でも漸近的に最適な推定が比較的容易に実現できる[17].

Remark 3   一般に古典的な問題設定での「同一」の実験でも, 行われた場所,少なくとも時間は異なっている. 同様に量子系で同じ系とよばれるものは 系として記述される部分が同じである(または同じと見なせる) というだけである. 他の部分ではこれらは大抵異なっており,完全に「同一」 ではない.したがって Bose 統計的, または Fermi 統計的な扱いにはならない.

また,ここでは同一と見なせる状態が複数準備されていることを 仮定しているのであって,同じ状態の複製を作るわけではない. 状態の複製は一般には不可能である.



Masahito Hayashi 平成13年7月10日