量子情報という分野は,量子力学と情報科学の境界領域で, なぜ,このような分野の研究をするようになったのかということを しばしば,同業の研究者や他の分野の研究者の方に聞かれるので, 書いてみることしました.(以下は,若干の脚色があるかも知れません.)
[物理→数学→?]
私自身は,私の経歴を見て頂いたら分かるように,
京都大学の理学部に入学し,物理学に大変興味があり,物理を目指しました.
ただ,京都大学理学部の学部教育の方針として,緩やかな専門性ということで,
「学部時は必ずしも,特定の学科に所属しなくても良い」という特性がありました.
そうすると,専門分野はどうなるのかというと,
卒業時に,取得単位数が多かった分野(例えば物理)について主に学んだという
具合に専門分野が卒業証書に記されていました.
(ただし,これは私の学部在学時の話です.)
それで,私の場合,物理学と数学の両方を学んだため,
学部の学位記には主に物理学及び数学を学んだと書かれています.
ただ,結局,物理については,その考え方になじめず実質的には
物理については完全に落第したようなものでした.
まだ,自分の考え方に近かった数学の方が実に付いたので,
最終的に数学の修士課程に進むことになりました.
ただ,どうも,興味そのものは物理にあり,数学そのものについては
ほとんど興味が無かったので,結局,数学の大学院に進んだ後は,
数学に対する興味の薄さのため,行き詰まりました.
そんなわけで,自分の興味に合った分野を探すことになりました.
私の見る限り,当時の数学科の中は学問的な興味がかなり純粋数学に限定されており,
そのような数学的概念だけに自分のエネルギーを集中することができませんでした.
[本来の興味]
そのとき,本来の自分の興味を見つめ直したところ,
自分の興味の中心はやはり物理では無いかと考えました.
そのなかで,当時物理の中で最も自分にとってミステリアスに感じられた部分が
量子力学の観測に関する問題でした.
ただ,一方で,量子力学の観測に関する問題は,
当時,物理のコミュニティーの中では問題そのものが過度に哲学的色彩を
帯びた方向に進んでいたため,完全に行き詰っており,
「量子力学の観測問題には近寄るべからず」という
不文律のようなものがありました.
[量子の世界とは]
そもそも,量子(光の粒子である光子や電子など)の世界というのは,
目には直接見ることのできない世界です.
なぜかというと,我々は日々色々な物体を見ていますが,
それは,その物体に当たって反射した光(光の粒子である光子)を知覚することで,
その物体を認識しているわけです.
したがって,光子と同程度のサイズの粒子(量子)は光子と当たっただけで,
その粒子(量子)の状態は変わってしまいます.
そのような極めて繊細な世界なわけで,
このような世界から我々が情報を得るという行為をどう捉えるかというのは,
難しい問題です.
ただ,少なくとも言えることは, 「観測する側の存在を完全に抜きにして, 観測される対象だけを議論することは出来ない」 ということだと思います. (この考え方は,ややもすると観念論に陥りやすく,正統的な科学の考え方とは 相容れない部分があるかも知れません.)
事実,物理の正統的な考えでは, 過度な客観主義が強調され, 物理の根本的な理解にこのような操作主義的な考えを持ち込むことが 否定されてきたように思えます. ただ,少なくとも, 現在の量子情報という分野は,この操作主義を前面に打ち出すことで, 部分的ではあるものの これまで見落としていた物理の側面に光を当てることに成功している と思います.
[量子情報へ]
話は元に戻りますが,修士の1年目の夏を過ぎた時期に,
量子情報という分野を知ることになり,この分野に進むことにしました.
その理由は,やはり従来の量子力学の観測に関する問題には
情報という視点が不足していて,そのため,過度に哲学的な色彩を帯びてしまい,
ややもすれば,観念論的な議論に陥ってしまいがちであったと思います.
一方で,統計学や情報理論などの情報科学には,
情報を定量的に扱うためのノウハウが十分に蓄積されていました.
そのようなわけで,これらの情報科学の蓄積を基盤に置いて,
量子の世界についての情報のやり取りを研究する分野(量子情報)
に進むことにしました.
[退路を断つ]
また,これは私の当時の視野の狭さから来ることですが,
他の当時の私の知りうる数学の分野はどれも分厚い難解な数学の本を数冊も
読まないと最先端に進めないという状況でした.
したがって,そのような力の無い私にとっては,
伝統的な数学の分野に進んで成功する見込むが無く,
他に選択の余地が無いという状況でした.
そんなわけで,退路を切って,修士の1年の11月頃に
量子情報の分野に進むことになりました.
[馴染みやすさ]
もう一つに要因として,数学の考え方が物理よりも
自分に馴染みやすかったというのがあります.
一見すると理論物理学は難解な数学を使うので,
数学の考え方に近いように見られがちですが,
実は,かなり数学とは異なっており,
一方,それほども難解ではない数学を使う情報科学の方が,
数学の考え方に近いという現実があります.
1つの理由としては,理論物理で使う数学はあまりに難解で
数学的にきちんとやってられないということと,
既に,現象が先にあるので,そちらに重点が行ってしまい,
必ずしも数学の考え方に囚われる必要も無いというのがあるようです.
一方で,情報科学で使う数学はさほど難解でないものが多く,
数学的に厳密にやることができるということと,
情報科学というのは,全般に,何らかの操作を設計したり最適化したり
するものが多く,現象が先にあるというものではないというのがあると思います.
そのような理由から,数学の考え方に馴染みやすかった自分には
従来の物理学には無い情報科学的な視点の方が
従来の物理学の考え方よりも馴染みやすかったです.
[統計学の軽視]
ただ,自分の研究をこのような方向に舵を切ったのですが,
大きな問題がありました.学部時代の自分の興味の中心が
物理と数学にのみ集中しており,
情報科学に関する関心がそれまで全く無かったことです.
統計学については,教員免許を取得するために必要でしたが,
興味が湧かず,結局,単位取得ができず,代わりに確率論の
単位で間に合わせました.
また,情報理論については,学部時代には全く触れる機会がありませんでした.
学部当時は現在ほども,情報科学たコンピュータが重視される世相ではなかった
というのも理由の一因だと思います.
[操作主義へ]
さらに,学部時代の自分の考えの中に
物理、数学は物事の原理を追求する学問で,
統計学などは人間の都合が入った便宜的な学問に過ぎないという
偏見がありました.
また,私自身コンピュータにあまり関心が無かったことも大きいと思います.
ただ、今になって考え直してみると,
便宜的な学問というと侮蔑的な見方ですが,
統計学は現在の量子情報のキーとなる概念である操作主義を前面に打ち出した
分野であるという見方もできると思います.
別な見方をすると,統計学という学問は,
ある意味で人間の認識,判断の一面を数学的に緻密に定式化した学問です.
そんなわけで,操作主義に重点を置くのであれば,
これまでの工学的=便宜的という見方を変え,
このような考え方こそ,従来の物理学に不足していた考え方として,
積極的に取り入れるべきと考えるようになりました.
[博士課程進学後]
そして,博士後期課程に進学後はこのような自分の考えを改め,
積極的に統計学や情報理論の考えを学ぶように勤めました.
ただ,それでも,なかなか情報圧縮については考え方が馴染めず,
情報圧縮について基本的なことが理解できるようになったのが,
理研に移ってからでした.
また,通信路符号化(誤り訂正符号)についても,
一般的なランダム符号化法についてしか理解しておらず,
実際に用いられる誤り訂正符号である線型符号について一定の理解を得たのが,
EARTOに移ってからという具合でした.
そんなわけで,学生が授業を受けて学ぶという具合に行かず,
情報科学について一定の理解を得るのに結構時間が掛かってしまいました.
[現状]
このようなわけで,基本的には,自分個人の研究の動機には,
量子の世界を理解する手段として,
情報科学の考えを持ち込むというものです.
したがって,情報処理そのものが目的で
その手段として量子を用いるというところにまでは,
自分の考えが十分に及んでいないのは事実で,
このあたりが社会的要請と元々の自分のモチベーションとのギャップで
難しいところでもあります.
それでも,この方向の研究を一定の水準までやることができ,
まとまった本を出すことができました.
「量子情報理論入門」とその英語版がそれになります.