量子仮説検定


古典情報理論及び統計学における仮説検定

自然界には確率的に起る現象は数多く有る。 それらを記述するには確率分布が用いられる。 一般に仮説検定とはある現象を記述する仮説が正しいか(採択すべきか) 間違っているか(棄却すべきか)を判断(検定)することを指す。 そしてその現象が確率的に起る現象で有れば 確率分布 P で記述されるという仮説を検定することになる。 場合によっては確率分布の集合 {Pθ|θ∈Θ} のどれかで記述されるという仮説を考えることもある。 以下では確率的現象の仮説検定のみを考える。

ふつう仮説を検定する場合には検定の対象となる仮説(帰無仮説)の他に 対立する仮説(対立仮説)を考え,そのどちらが正しいか考える。 特に何も情報が無い場合は対立仮説は帰無仮説の補集合になる。

一般に対立仮説は確率分布の集合 {Pθ|θ∈Θ}で記述されるが 問題によっては一つの確率分布Qで記述される。

帰無仮説が正しいにもかかわらず 帰無仮説を棄却してしまうことを第1種の誤りと呼び, 帰無仮説が誤っているにもかかわらず,帰無仮説を採択することを第2種の誤りと呼ぶ。

仮説検定ではこの2種類の誤りを犯す確率を如何に押えるかが問題になる。 一般に第1種の誤り確率と第2種の誤り確率を同時に最小化することは不可能である。 そこでネイマン=ピアソンは第1種の誤り確率を一定量に抑えた上で 第2種の誤り確率を最小化する戦略を提唱した。

この問題を漸近理論の立場からシュタインはシュタインの補題として知られている 以下のような回答を出した。

シュタインの補題

今,n 個のデータから帰無仮説 P 対立仮説 Q を検定する問題を考える。 そして,第1種の誤り確率が ε> 0 以下となる条件の下で 第2種の誤り確率を最小化を考える。その最小値を βn(ε) とする。 このとき以下の式が成立する。

limn → ∞ 1/n log βn(ε) = - D (Q|P)

ここで D (Q|P) は相対エントロピー(Kullback-Leiblerのダイバージェンス) と呼ばれ,以下で表される。

D (Q|P):= ∫ (log Q(ω) - log P(ω)) P(ω) dω

これは第1種の誤り確率を固定した上での 第2種の誤り確率がデータの個数nに関して指数的に減少し, なおかつその指数の肩にのる量が相対エントロピー(- D (Q|P))で 記述されることを示している.

これまでのことについて詳しくは 情報理論または統計学のテキストを参照のこと.

量子系での仮説検定

この問題を量子の世界で考えるどうなるであろうか. 量子力学によると, 量子(電子や光子)の状態は密度演算子で記述されることが知られている。 この場合,帰無仮説及び対立仮説は密度演算子 または密度演算子の集合で記述され, その仮説に対する検定は量子状態に対する測定とその測定値により行われる。 この場合,注意すべきことは,量子状態に測定を行うと状態は壊れてしまい, 1つの状態に対して測定は1回しか行えない. したがって,統計的な検定を行うためには, 対象となる未知の状態のサンプルを複数準備しておくことが必要である. したがって,先の古典的問題でのデータ数nに対して サンプル数nという概念が対応する。 ここで量子的な相関を用いて複数のサンプルにまたがる測定も考えられる。 この量子相関を許す許さないで少なくとも2種類の仮説検定の 問題が考えられる. 以下では量子相関を許した問題設定のみを考える。 そして,シュタインの補題の量子版として以下の補題が考えられる。

量子シュタインの補題

今,n 個のサンプルから帰無仮説 σ 対立仮説 ρ を検定する問題を考える。 そして,第1種の誤り確率が ε> 0 以下となる条件の下で 第2種の誤り確率を最小化を考える。その最小値を βn(ε) とする。 このとき以下の式が成立する。

limn → ∞ 1/n log βn(ε) = - D (ρ|σ)

ここで D (ρ|σ) は量子相対エントロピー と呼ばれ,以下で表される。

D (ρ|σ):= Tr ρ(log ρ - log σ).

この定理の ≦ の部分は Nagaoka により予想され,Hiai-Petz により初めて 示された[1]. その後 Hayashi により群の既約表現の理論を用いることにより, 最適な検定を実現するために必要な測定が具体的に記述された[2]. そして Ogawa-Nagaoka により≧の部分が証明された[3]. なお ρとσが非可換である場合, 最適な測定を構成するには量子相関を用いる必要がある. 具体的な構成については[2]を参照のこと. また,ρとσが量子ガウス状態族のときについては[4]を参照のこと. 他に,Hayashi による情報スペクトルを用いた量子 Stein の補題 の別証明もある[5]. そのほか, 詳しくは下記の参考文献を参照のこと。

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