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量子推定理論における漸近的大偏差型評価について

林 正人 1 京都大学 理学研究科 数学教室

本研究では,量子状態の推定理論を大偏差型評価に注目して 扱った.

まずここで量子系の測定に関する基本事項を触れておくことにする. 量子系で測定を行うと,測定器の構造と測定対象である状態の双方に依存して 測定値が得られる. しかし,一般にはその測定器の構造と準備された状態から, 測定値の値を予言することはできない. 両者からは個々の測定値が得られる確率しか 予言できない. そこで,測定器 $ M$ で状態 $ \rho$ を測定したときに得られる 確率分布を $ P_{\rho}^M$ で表すことにする.

本研究では測定対象である状態が未知で, なおかつ 十分たくさんにその未知状態が準備できるとの仮定の下で, その状態を推定するにはどのような性質をもつ測定器を用いて 測定すればよいか考察することにある. なお,ここで測定器と呼んでいるものは, 単にビームなどの測定対象を測定して, データを与える測定装置だけではなく, そのデータを変換する計算機と測定装置を組み合わせたものを 意味することもある.

以下で量子系での状態に関する数学的記述を まとめておく. 量子力学では,状態はある複素 Hilbert 空間 $ {\cal H}$ 上の self-adjoint 非負定値作用素でトレースが1のもので表される. どのようなヒルベルト空間 $ {\cal H}$をとるかは対象となる系 によって異なり,その系の性質によって決まる. なおこの Hilbert 空間 $ {\cal H}$量子系の表現空間と呼ばれる. 表現空間が $ {\cal H}$ となる量子系の状態の集合を $ {\cal S}({\cal H})$ で表すことにする. そしてパラメトライズされた $ {\cal S}({\cal H})$ の部分集合 $ {\cal S}:=\{ \rho_{\theta} \vert \theta \in \Theta \}$ を状態族と呼ぶ.

量子力学では状態をノルム $ 1$ の Hilbert 空間 $ {\cal H}$ の元 $ \vert f \rangle$ で 表す流儀があるが, それは $ \vert f \rangle$ で張られる一次元部分空間への射影 $ \vert f \rangle \langle f \vert$ 2を考えることにより, $ {\cal S}({\cal H})$ の元を表しているとみなせる. なお,ノルム $ 1$ の Hilbert 空間の元で状態を表す流儀では $ \vert f \rangle$ $ e^{i \phi}\vert f \rangle$ を同一視しているので,ここで述べている対応関係には問題ない. 状態集合 $ {\cal S}({\cal H})$ は作用素としての凸結合を考えると, 凸集合になっている. このような Hilbert 空間 $ {\cal H}$ の1次元部分空間への射影で表される 状態はこの凸結合に関する状態集合 $ {\cal S}({\cal H})$ の 端点 3になっており,純粋状態と呼ぶことにする.

そして量子系で測定を考えるときに不可欠なのが 正作用素値測度(Positive Operator-Valued Measure,POVM)である POVM は $ \sigma$-field $ {\cal F}$ から $ {\cal H}$ 上の非負定値な自己共役作用素への写像 $ M'$ で与えられる.

  $\displaystyle \circ$ $\displaystyle M'( \emptyset ) = 0 ,~ M'( \Omega )= \mathop{\rm Id}\nolimits ,$  
  $\displaystyle \circ$ $\displaystyle B_i \cap B_j = \emptyset (i \neq j )\hbox{ を満たす加算個の集合列...
...cal B}(\Omega) \hbox{ に対し }
\sum_j M'(B_j) = M'\left( \bigcup_j B_j \right).$  

なお,今後 表現空間が $ {\cal H}$ となる $ \sigma$-field $ {\cal F}$ 上の POVM の集合を $ {\cal M}({\cal F},{\cal H})$ で表すことにする. さらに,量子力学では測定 $ M$ に対して以下の凸結合則を要請する. なお $ M$ の測定値集合を $ \Omega$ で表し, $ \Omega$ は可分かつ完備(すなわちポーランド空間)であるとする. そして可測集合族は Borel 集合族 $ {\cal B}(\Omega)$ を考えることにする.
$\displaystyle P_{\lambda \rho_1+ (1- \lambda) \rho_2}^M(B)
=
\lambda P_{\rho_1}...
...ga),
\forall \lambda \in [0,1],
\forall \rho_1, \rho_2 \in {\cal S}({\cal H}) .$     (1)

([*])の条件を満たす $ \{ P^M_{\rho} \vert \rho \in {\cal S}({\cal H})\}$ は 適当な正作用素値測度(Positive Operator-Valued Measure,POVM) $ M'$ を用いて $ \mathop{\rm tr}\nolimits M'(B)\rho = P^M_{\rho}(B) $ と表すことができる. なお,このとき $ M'$$ \sigma$-field としては Borel 集合族 $ {\cal B}(\Omega)$ を対応させると良い.

このことは 測定値の確率分布にのみ注目するのであれば 実際に構成される測定器 $ M$ は POVM で記述できることを主張している. しかし,任意のPOVMに対応する測定装置が実際に できるかについては今のところ十分には分っていない.

次に独立同一分布のの量子的対応物を考える. 同一な量子状態 $ \rho$$ n$ 個独立に準備されたとき それは $ n$-テンソル空間 $ {\cal H}^{(n)}:=
\underbrace{{\cal H} \otimes \cdots \otimes {\cal H}}
_{n}$ 上の量子状態 $ \rho^{(n)}:=
\underbrace{\rho \otimes \cdots \otimes \rho}_{n}$ で表される. したがってこのような仮定の下で $ n$ 個のサンプルに対する推定量は $ n$-テンソル空間 $ {\cal H}^{(n)}$ 上のPOVM $ M
\in {\cal M}({\cal B}(\Theta),{\cal H}^{(n)})$ で与えられる.

以下ではPOVMの範囲で測定誤差の下限に関する議論を行う. 量子状態族 $ {\cal S}:=\{ \rho_{\theta} \vert \theta \in \Theta \}$ に対して推定量の系列 $ \{ M_n \}$ (各 $ M_n$ $ {\cal M}({\cal B}(\Theta),{\cal H}^{(n)})$ の元.) が以下の条件を満たすとき弱一致という.

$\displaystyle \mathop{\rm tr}\nolimits \rho_{\theta}^{(n)} M_n(
\{ \hat{\theta}...
...lon \} )
\to 0 , \quad \forall \epsilon \,> 0 \quad \forall
\theta \in \Theta .$     (2)

本研究では上記の一致性の下で 大偏差型の評価を行う. 確率分布族のパラメータ推定での大偏差型評価では Kullback-Leibler の divergence が重要であったが, その量子的対応物である 梅垣によって導入された量子相対エントロピー(梅垣エントロピー) $ D(\rho \Vert \sigma ):=
\mathop{\rm tr}\nolimits \rho (\log \rho - \sigma)$ が重要な役割を果たす. 弱一致性を満たす推定量の系列 $ \{ M_n \}$ に対して以下の不等式が成立する.
$\displaystyle \liminf_{n \to \infty}\frac{1}{n}
\log \left( \mathop{\rm tr}\nol...
...Vert \ge \epsilon \} , \quad \forall \epsilon \,> 0,\forall
\theta \in \Theta .$      

さらに極限 $ \epsilon \to 0$ を考えることにより 以下の不等式も成立する.
$\displaystyle \liminf_{\epsilon \to 0} \liminf_{n \to \infty}\frac{1}{n \epsilo...
...at{\theta} \Vert \,> \epsilon \} )
\right)
\ge
- \frac{1}{2}\tilde{J}_{\theta}.$     (3)

ここで
$\displaystyle \tilde{J}_{\theta} := \lim_{\epsilon \to 0} \frac{1}{\epsilon^2}
...
...ta'} \Vert \rho_{\theta} )
\vert
\Vert \theta' - \theta \Vert \ge \epsilon \} .$      

と定義した. 今のところ式(refaee)の右辺を達成し,弱一致性を満たす推定量の系列を 任意の量子状態族に対して構成することはできていない. いまのところ,量子性があらわれるモデルで(refaee)の右辺が達成されることが 示されているモデルは 以下に定義する熱ノイズを受けたコヒーレント状態族 (Thermaly-Noised Coherent States Family) $ \{ \rho_{\theta,N} \vert \theta \in \mathbb {C} \}$ のみである.
$\displaystyle \rho_{\theta,N}
:=
\frac{1}{\pi N} \int_{\mathbb {C}}
e^{-\frac{\...
...theta - \beta\vert^2}{N}}
\Vert \beta \rangle \langle \beta \Vert
\,d^2 \beta .$      

詳しくは予稿を参照のこと.


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Masahito Hayashi 平成13年7月10日